子どもと向精神薬(妄想を作る)

 向精神薬の多くは脳内のシナプスに作用をしてその効果を出していると考えられています。その作用の仕方はシナプスにおいて伝達物質に作用をしています。向精神薬の内でSSRIという、シナプスでセロトニンという伝達物質に作用をする薬を例に挙げて考えてみます。

 SSRIは軸索側からシナプス内に放出されたセロトニンが軸索側に再吸収されるのを妨げて、シナプス内のセロトニン濃度を高めて、信号の伝達を良くして、症状の出現を妨げようとする薬です。

 シナプス内のセロトニンが不足しているシナプスではSSRIの効果が期待できます。ところがSSRIは脳内の全てのセロトニンが伝達物質として関与しているシナプスに作用をします。セロトニンが不足していないシナプスでは、セロトニンの過剰を生じてしまいます。送ってはいけない信号まで送ってしまいます。それがSSRIの副作用の一つになります。

 大人ではSSRIの投与を止めることで投与前の状態に戻りますから、SSRIの効果もなくなりますが、副作用も分からなくなります。大人ではSSRIを投与することで辛い症状が改善され、社会復帰ができますから、SSRIに副作用があっても使う意味があります。

 子どもではセロトニンが不足しているシナプスではSSRIの効果が期待できますが、セロトニンが不足していないシナプスでは送ってはいけない信号まで送って、副作用を出すだけではありません。送ってはいけない信号を送ることで、子どもは経験していないのに何かを経験したように間違った学習をします。子どもでは経験が子どもの性格を作りますから、子どもの性格を歪めてしまいます。その歪められた性格で、子どもは一生辛い思いをすることになります。

注釈
 子どもは成長の過程で学校の勉強をはじめとしていろいろな経験をします。その経験は脳内ではシナプスを介して脳神経細胞から脳神経細胞に伝えられて、その経験に相当する記憶ができます。子どもを含めて大人もその記憶から行動をしますから、経験をしていない記憶(一種の妄想)は社会生活に悪い影響を与えます。


子どもと向精神薬(間違った性格を作る)

 子どもの脳神経細胞の数は生後1年ぐらいが一番多いです。それ以後の脳の体積重量は増加するが、脳神経細胞の数は減少していきます。その脳神経細胞が作るシナプスの数は3歳ぐらいで最高にになり、その後減少をしていきます。脳は経験(学習)をするに従って必要な脳神経細胞とシナプスの結合を強化をして、不要になた脳神経細胞とシナプスを取り除いてしまいます。必要な脳神経細胞とシナプスは、経験で使われた物が残され、それ以後必要に応じてその残された脳神経細胞とシナプスが機能をして、子どもの性格を形成します。子どもが属する社会に順応できるようになります。

 向精神薬はシナプスに作用をします。症状に関係するシナプスに作用をして症状を軽減しますが、向精神薬は症状に関与しない脳内のシナプスにも作用をします。本来なら伝えなくても良い信号を伝えたり、伝えるべき信号を伝えなくします。つまり向精神薬は子どもの脳に、現実の経験とは違った(間違った)情報をしっかりと刻み込んで、記憶させてしまいます。この間違った情報からの記憶で子どもの性格を形成してしまいます。子どもはそれ以後間違った情報で作られた性格で行動しますから、子どもが置かれた社会に順応できなくなります。

 大人では既にできあがった性格が存在しています。向精神薬で間違った情報を記憶してしまっても、既にある性格がありますから、社会生活にはそれほど問題を生じません。しかし子どもは向精神薬で何もないところから間違った情報で性格を形成してしまいますから、大人が向精神薬を飲むのと大きな違いがあります。

 子どもが辛い症状で苦しみ、その子どもを守る親も苦しんでいるとき、向精神薬を使わないでする対応法があるかどうかの疑問です。医者は原因がなくて辛い症状を出しているから病気であると考えます。ですから薬を投与することしか考えられないのです。ところが子どもが辛い症状で苦しんでいるのには必ず原因があります。その原因を取り除くと、子どもは辛い症状を出さなくなります。ただ、その原因は医者や大人の常識では考えられないところにあるから見つからないのです。常識を捨てて、子どもの心に沿って探すと簡単に見つかるのですが、医者や大人は非常識の領域に子どもが苦しむ原因を見つけ出そうとしません。

 子どもに向精神薬を使用することに反対している人の中で、子どもの命を救うために緊急やむを得ないときには薬を使うのは仕方がないという人がいます。その緊急やむを得ないときとは、子どもが酷く荒れたり、酷い病気の症状を出していて、親や大人が対応に困るときです。しかし子どもはその時こそ、強く親に理解を求めているときなのです。

 子どもへの対応に苦慮しているという理由で、やむを得ず薬を使うというのは親や大人の勝手です。子どもは親が身を挺して子どもを守ろう、子どもを救おうとする親の姿を求めているときなのですから、親が子どもの希望を無視して薬で子どもの訴えを押さえつけようとすることになります。子どもに子どもの辛さを訴えてはいけないというメッセージになり、子どもの本心の否定になります。子どもは親を信頼しなくなります。子どもの問題の解決ができなくなります。 


QOLと向精神薬

 現在までの向精神薬は、精神疾患の症状を軽減する薬ですが、精神疾患を治癒させる薬ではありません。それ故に現在の精神医学では精神疾患の患者のQOL(Quality of Life 生活の質)を改善するために投薬すると考えるようになっています。

 大人の場合、精神疾患の症状で社会生活ができなくなることの問題点は大きいです。治療で精神疾患が治癒しなくて精神症状が続いていても、薬の効果不足、薬の副作用があっても、社会生活が続けられる(経済的な)メリットが大きければ投薬を続ける意味があります。

 子どもの場合、大人で言うQOLという考え方が当てはまりません。強いて当てはめるとしたら、子どもを管理している親や大人のQOLになります。もっと正確に言うと親が子どもについて推測する生活の質(ほぼ必ず間違っている)になります。子どもは大人で言う生活の質の判断基準を持っていません。持っているとしたら楽しいという言葉で表現できる状態か、辛い、怖い、嫌だというような言葉で判断される状態が、子どもの生活の質の判断基準になります。

 子どもの生活の質を考えるとき、子どもは大人に保護されて成長過程にいますから、年齢によって、子どもの能力によって、親や大人との関係、子どもが属する集団との関係などによって、大きく異なります。同じような状態に置かれている子どもでも、子どもとして喜びの状態の場合もあれば、子どもとして辛い状態の場合もあります。また大人が子どもを見たときに、子どもは心が辛い状態なのに、とても楽しいように振る舞う、良い子を演じてしまう場合も多いですから、親や大人が子どもみて、子どもが生活している生活の質を決めることができません。

 例えば今まで辛い心の病の症状を出していた子どもに投薬で症状が軽減したからQOLが改善したと考えられるかもしれませんが、子どもとしての意欲が減退したり、薬の副作用が出ていたら、副作用が見かけ上出ていなくても、出ている可能性があるなら、QOLは改善したとは言えません。一番大切なことは子どもは成長をするため、今は良くても将来に害を生じる要素があったら、それは将来への危険という意味でQOLが改善したことにはなりません。向精神薬の投与は子どもの将来に害を生じる要素が理論的に確実にありますから、向精神薬を投与されている子どもである限り、その子どもの生活の質は最悪なのです。


少子化と体罰


 日本は少子化の傾向にあります。労働力減少の現実の中で、引きこもり、ニート、フリーターと、労働力の減少を来たし、労働力を求めて企業が海外へ進出、労働力の輸入の現実があります。少子化はやむを得ないにしても、子ども達がなぜ大人になって社会に適応できないのか、今までは原因を子どもやその親に求めてきました。より優秀な人材を作るために、親や学校を含めた社会は子ども達を叱咤激励して育ててきました。その結果ノーベル賞を受賞する人材も出てきていますが、一方で社会に順応できない人、心の病で苦しむ人の増加を生じています。

 これだけ発展した社会を作り、優秀な人材を作り出した今の社会のあり方や教育は間違いではないと思います。けれどこれだけ多くの社会に適応できない子ども達を育ててしまったのは、今の子育てのあり方に隠れた問題点もあると言う意味だと思います。その問題点を今回の桜宮高校の生徒の自殺が指摘していると思います。

 現在の結果(学業、芸術、スポーツで優秀な成果を出す)を優先する教育のあり方は、優秀な成績をもたらす子どもを作ります。そのために叱咤激励、体罰を加えてでも、目の前の成果を求めてきています。成果を出した子どもやその教育者にはスポットが当たり、褒め称えられますが、その陰に多くの成果を出せなかった子ども達がいます。

 日本が発展途上の時代には、成果を出せなかった子ども達にも逃げ場があり、その子どもなりの成長が可能でした。現在の日本では、子ども達に逃げ場がないのが現実です。逃げ場がなくて自殺する子ども、心の病で苦しむ子ども、かろうじて逃げられた引きこもり、ニート、フリーターの子どもが増えてしまっています。 

 今回、桜宮高校の生徒の自殺が提起した問題とは、決して体罰をなくすることではありません。もちろんなくする努力は必要ですが、一番の問題点は学校の管理者が、指導者が、成果ばかりを求めて、子ども達を道具化している事実でしょう。それを支えている教育学者などの、集団としての子どもの心の理解やマスコミなどの社会風潮です。成績を伸ばそうとする子ども達のあり方には当てはまりますが、辛くなって対応を拒否している子ども達には当てはまりません。その当てはまらない対応を子ども達に更に押しつけたとき、子ども達は拒否反応を起こして、成長を止めて、社会へ不適応を起こしたり自殺するようになります。


引きこもりの分類と対応法

 引きこもりとは人(子どもや大人)が主として自分の家の中で生活をして、家から出てその人なりの社会活動をしないか殆どしない人の姿、状態です。引きこもる人は何かに反応して辛くなり、荒れたり問題行動をしたり、辛い心の病の症状を出したりしていますから、その辛くする何かを避けるために引きこもります。引きこもってもその辛くする何かを避けきれないときには、荒れたり問題行動をしたり、辛い心の病の症状を出し続けます。

 子どもとは未成年者と考えて下さい。大人とは20歳以上の人を考えて下さい。但し20歳以上の人でも心が辛い状態の人(情動で回避系の反応が主として働いている人)には、その心は子どもの心を当てはめた方が良い場合が多いです。

 現在、ニート、フリーターと引きこもりを混同して使っている人が多いです。ニートとは引きこもらないでその子どもなりの社会活動をしているけれど、経済的な収益を上げていない人です。その子どもなりの社会活動をしているけれど、経済的な収益を得る意欲がない人と、意欲はあるがその収益を上げる場が無い人とがいます。
 フリーターとは経済的な収益を得ているが、経済的に自立するのには不十分で、その不十分な部分を自分から補おうとしない人です。

 子どもの引きこもりには、
1)自分の家の中の物(家具などや親兄弟)に反応して、主として自分の部屋の中で生活をしている子どものひきこもりがあります。
2)自分の家の外の物(近所や人)に反応して、主として家の中で生活をしている子どもの引きこもりがあります。
 *全ての家の外の物や、全ての人に反応して外に出られない
 *近所の物や、近所の人に反応して外に出られない。近所で無ければ、身内や近所の人など知り合いで無ければ外に出られる。夜中などでは近所の店に行かれる
*見かけ上は引きこもっているけれど、自由に外に出られるし、他人にも人によって会っても平気菜場合がある(ニートの範疇に入ります)。

引きこもり(ニートを含めて)の子どもへの対応の基本は、全てに優先して子どもの心を楽しくして、子どもの心が元気になるのを待ってあげることです。子どもの心を楽しくする物とし、ゲーム、テレビ、漫画、ネット、音楽などがあります。子どもの心が楽になると、子どもは現状に満足しなくなり、何かその子どもなりに新しい物を求めて、動き出す本能があります。その本能が働き出すと、子どもは引きこもりを止めて、自分の周囲の社会へ、子どもによっては学校へと出て行きます。

子どもの心を辛くする物の多くは、学校、教師、友達、勉強、生活を正すこと、年長の子どもでは仕事に就くことを意識することです。これらを親が与えないばかりか、これらから親が守ってあげる必要があります。

自分の家の中の物(家具などや親兄弟)に反応して、主として自分の部屋の中で生活をしている子どものひきこもりがあります。この引きこもりは、親が子どもの心に沿わない対応をするために、親が子どもを辛くする物を与えているために、親を拒否して自分の部屋に引きこもっています。親がいないときには部屋から出て、家の中で生活をします。親が子どもを辛くする物の多くは、登校刺激や働け、生活を正せ、という親の希望です。これらの親の対応を止めて、子どもの素直な生き方を認めると、子どもは部屋から出てきて、家の中で生活が可能になります。

自分の家の外の物(近所や人)に反応して、主として家の中で生活をしている子どもとの引きこもりの内でも、全ての家の外の物や、全ての人に反応して外に出られない子どもには、子どもがそれらの物に登校刺激や働け、生活を正せという物を感じている場合です。親が子どもを、学校や労働、生活の決まりから開放してあげると子どもの心が元気になり、子どもの生活範囲が広がっていきます。

 近所の物や、近所の人に反応して外に出られない。近所で無ければ、身内や近所の人など知り合いで無ければ外に出られる。夜中などでは近所の店に行かれるこどもには、登校刺激や労働刺激から子どもを守ることだけで、子どもの心は元気になっていき、見かけ上は引きこもっていても、必要を感じたら引きこもりを止められます。

見かけ上は引きこもっているけれど、自由に外に出られるし、人に会っても平気な子どもは、親が子どもを信じて待っているだけで、その子どもなりに社会へ出て行きます。子どもの中には学校に行き出す子どももいます。親は親なりの生活を続けておいて、子どもに関わる必要が無いです。子どもは引きこもることで何かをしようとする意欲を高めて、意欲が高まったら自分から(親が引き留めても)引きこもりを止めて、社会活動を開始します。私はニート、フリーターの人に、引きこもることを勧めています。

20歳から30歳代の引きこもりの大人でも、引きこもりの子どもへの対応が当てはまります。その人を辛くする物の内、登校刺激は無くなりますが、労働刺激が強くなっています。また、自己否定という、自分の中で作る辛さが大きな意味を持ってきます。親は引きこもりの人に自己肯定感をもてるような対応をする必要があります。ありのままのその人を認めようとする必要があります。

今までの私の臨床経験ですが、子どもの心が辛くなる大本は義務教育年齢では学校です。大人になりますと労働と自己否定です。高校生年齢ぐらいですと、両方の要素があります。現実にはいろいろと子どもにとって辛いことが起こりますが、それらはこれらの基本的な辛さから派生して生じており、その派生した辛さが大本の辛さを強くするという悪循環を起こしています。この事実に同意して下さる人は今のところ殆どいません。しかし派生した辛さを解決しても、その人の心は元気にならないし、派生した辛さを解決しなくても、大本の辛さを解決するだけで、派生した辛さも解決できるという事実を、私は積み重ねています。

40歳代の人になると、心の辛さが無くなっても、自分から動き出そうとする能力が少なくなっているなあと感じる人が増えてきます。50歳代になると、心が楽になってもその時のその人の状態から、新たな別の生き方を模索しようとしなくなているなあと感じる人が多いです。言葉では動き出すようなことを言っても、行動を伴わない場合もあります。
その代わり、心が元気になった40歳代、50歳代の人には説得が効果的になります。説得に納得できたら、その人が意識的にその人の生き方を変えることが可能になりますし、生き方を変えようとする人が出てきます。過去に学んだことを参考にして動き出す場合があります。30歳代の人ですと、自発的な心の動きから社会的な活動を始めたのか、理性から社会的な活動を始めたのか、区別がつきません。


母性と知性


 人間の場合、母性の存在が認識されないことが多いです。しかし動物の子育てや進化を考えてみると、母性の存在とその役割の大きさが良く変わります。人間以外の動物では「母性とは、母親の無条件で子どもを産み守って育てる能力」と定義できます。人間でもそれと同じにに考えれば良いのかもしれません。人間の子育てを観察していますと、一見母性のようでも、親の希望、要求と考えられる母親の子育てが目につきます。また、父親に母親の母性のような物があるのかどうか、分かりません。哺乳類の中でも父親が子育てに関与している種があることも事実です。

 子どもの心が元気なら、母親の希望や要求を子どもは受け入れて、子どもは挑戦を重ねて、どんどん伸びていってくれます。子どもが元気なら必ずしも母性は必要ないようです。子どもに母親に代わる信頼できる人がいるなら、子どもは問題なく育っていきます。

 心が辛い子どもが、子どもでは解決できない問題に直面したとき、心も体も安心できる場所、「安全な場所」が子どもに必要です。それは多くの場合母親の側です。子どもは本能から母親の側で辛い心を癒やそうとしますし、母親も子どもの辛い心に共感できて無条件で子どもを守ろうとします。母親以外の大人では、その人の知識や理性から子どもを理解して対応をします。人によっては、その人の知識や理性から子どもを守る対応を行える場合もあります。それでも母親のように無条件で子どもの辛い心に共感して、子どもを守る対応にならない場合が多いようです。一見子どもの辛い心を癒やしたように見えても、子どもの方で良い子を演じてしまっている場合があります。

 母性が働いている母親は子どもの内的な要求からの成長を認めて育て続けます。母親が母性を発揮し続けるのは、現在の複雑な社会では難しいです。どうしても知識から、早く、確実に社会生活ができるようになる子どもを、母親は求めてしまいます。それは仕方がないことですが、子どもの心が辛くて、耐えられる限界に来てしまい、母親の希望や期待に応えられないとき、母親が自分の希望や理性を捨てて、子どもの内的な要求を優先して、子どもの心を全てに優先して、子どもの心を元気にする必要があります。

 母性は本能ですから、大脳辺縁系視床下部に有ります。知識や理性は大脳新皮質にあります。脳の構造から言って知識や理性は母性を調節できますが、母性は知識や理性を調節できません。つまり知識や理性がしきりに働いている脳では母性は発揮できません。母性が発揮するには、知識や理性が働かない状態で、感覚に素直に母性が働く状態でなければなりません。心が辛い子どもを守るために、母親は持っている知識や理性を捨てて、感覚を研ぎ澄まして、子どもの姿に素直に反応する必要があります。


卒業を前に(ある母親からのメール)

 母親が肝を据えて息子に、学校に行かなくて良いことを事あるごとに何回も告げました。初めのうちはそれでも学校に行きたい、勉強をしたいと言ってましたが、今は全く言わなくなりました。昼夜逆転ですが、イライラすることもなく毎日ゲーム漬けです。母親との日常会話もできるようになりました。夜暗くなってから犬の散歩にも行ってくれるようになりましたし、自転車で図書館に本を借りに行くようにもなりました。本当に自分の好きな事をして過ごしているいるようです。母親も息子を家において、しばしば仲間とお茶をしに出かけていました。

 友達の誰かから電話があったようでした。今日、息子は中学校に行ってきました。帰ってきても特別に変わった様子がなかったです。でも明日からまた学校に行かないと言っています。担任の先生は、高校に願書だけでも出したらどうですか?とのアドバイスの電話がありましたが、お断りしました。卒業アルバムについても聞かれたのですが、息子に相談をしないで断りました。アルバム用の写真撮影も断りました。卒業式は以前から息子が行かないと言っていましたから、欠席にして貰いました。卒業証書は卒業式の後、母親が受け取りに行くことになりました。

担任はクラス全体で卒業をしたいと主張し続けました。息子をクラスの一員として、みんなに忘れないで貰うために、何かをしたいと提案をしてきましたが、それも断りました。担任は卒業まで学校に来ないのは仕方がないとしても、卒業後の進路が決まっていないことを繰り返し言ってきて、母親の不安をあおり立てました。しかし母親は、はっきりと今は進学しない成長の仕方を選択することを担任に告げました。

今の息子には、今までのことが嘘のような平穏な日々が続いています。常識的な人からみたら、我が儘放題な生活でとても許せないと思います。母親からみたら、息子が死んでしまうかもしれないぐらいの地獄の生活が終わっただけでも、ありがたい日々です。母親は息子に感謝しています。そして不登校問題で、今まで息子が貯めてきたエネルギーを全て消耗させてしまったことを、母親は詫びています。これから息子が息子なりに元気になって、社会へ出て行ってくれることを、期待しないで待っているつもりです。

ある母親からの手紙です

 夫の仕事でフランスに住みだして6年になります。小学5年生の娘が学校に行かなくなりました。学校から病院やカウンセリングを勧められましたが、娘がそれを激しく嫌がりました。周囲の反対を押し切って、娘を家庭において、ゲームや漫画など好きなようにさせておきました。

 夏休みが明けてまもなくすると、突然自分から学校に行く支度を始めて学校に行き出しました。学校での勉強の遅れも感じさせないで、宿題も自分からして、生き生きとしています。毎日がとても楽しそうです。私の心配なんだったのという感じです。

 なぜ娘が学校に行かなくなったのか、私に分からなかったのですが、娘が苦しんでいることは分かりましたので、直感から娘を学校に行かせるべきではないと感じました。しかし学校や相談機関では学校に行かそうとしない私を責められました。私は同すべきなのか、いろいろな本を日本から取り寄せて読みました。その中に「子ども論」があり、読んで「これだ」とはっきり思いました。

 娘が辛くて朝起きてこないとき、
「えりはお母さんにとって一番大切な宝物よ。辛いのがよく分かるから、学校に行かないで、家で好きなことをしていて欲しい」
と繰り返し言いました。事あるごとに娘を抱きしめました。ただそれだけを私が繰り返して1年がたちました。

 娘の表情が明るくなりました。ゲームばかりをしていた娘が、突然散らかし放題の自分の部屋を掃除し始めました。やがて家の中まで掃除を始め、お料理の手伝いまで始めました。私と娘はケラケラと笑いながらいろいろな話をして、家事をしていました。私がびっくりするようなことまで、何でも話してくれるようになりました。学校でのいじめで辛かったことなどを、共感の言葉だけで私は聞き続けました。決して解決しようとする話をしませんでした。そのうちに娘は突然学校に行きだしたのです。


ほめる、しかる

ほめる

 何かの理由で子どもがある行動をした(例えば勉強)とき、親からほめられると子どもは嬉しくなります。その時子どもはわずかに喜びの条件反射を学習します。つまりある行動をする(例えば勉強)ことに喜びを感じられるようになりますら、その行動をしたくなります。そこでその行動をすると、親からまたほめられます。子どもは嬉しくなり、喜びの条件反射が強化されていきます。

 このようにして喜びの条件反射が強化されていきますと、最終的にその行動をして親からほめられなくても、その行動自体に感じられる喜びだけで、その行動を繰り返すようになります。その行動(例えば勉強)が習慣化されていきます。親にとってとても嬉しいしつけになります。但し、心が辛い子どもについて、親がほめることが習慣化よりも先に心を元気にするように働くので、その分について習慣化が遅くなります。

 子どもがしたことを親以外の大人がほめたとき、子どもに同じことが生じますが、ほめてもその場限りで、親のように繰り返しほめられません。また、親と同じようにほめたとしても、子どもは親ほど喜びを感じませんから、その分について習慣化が遅くなります。親がほめると効率的なのです。

 子どもが欲しがっている物を与えることでほめることを表現したことになります。ほめるという意味では効果的ですが、その場限りで繰り返し物を与えることができません。習慣化という意味では効果的ではありません。また、子どもが欲しがる物を与え続けることでほめることを表現すると、物を貰うことに子どもは習慣化を生じて、物を貰うことに依存を生じてしまい、物を与えられなくなったときに、子どもは強い葛藤を生じてしまいます。しつけの意味がなくなってしまいます。

しかる

 大人が許せない行動(例えばうっかり物を壊した)を子どもがしたとき、大人からしかられると子どもは辛くなります。しかれた時、子どもは良い子を演じて、大人の要求を受け入れたように振る舞います。その時、子どもは辛さを生じる条件反射を学習します。その大人に辛さを感じ、その大人を信頼しなくなります。しかられた状況と同じような状況下で辛さを感じるようになります。他の辛さにも敏感になります。

 子どもがした大人が嫌がる行動をしかるのは、子どもに二度と大人が嫌がる行動をさせないようにするのに効果的です。しかることで子どもは辛くなり、辛さを生じる条件反射を学習してしまいますから、以後同様な危険な行動を回避しようとします。ただ、子どもは同時に辛さについて敏感になっていますから、可能な限り早く子どもの心を楽しくして、子どもが感じている辛さを打ち消してあげる必要があります。

 心が元気な子どもでは、叱られることの辛さを他の楽しさで帳消しにできます。辛さを生じる条件反射を簡単に消失せます。あたかも大人にしかられたことがなかったかのようにして成長が可能ですし、それ以後の大人が許せない子どもの行動を阻止できます。ところが心が辛い子どもでは、他の楽しさで帳消しにできません。ますます心が辛い子どもになってしまいます。しかられた状況と同じような状況下で子どもは理由もなく辛くなります。しかった人にも辛さを感じるようになっています。他の辛さにも敏感になっています。

 心が辛い子どもは、大人や子ども自身も気付いていないことで辛くなり、辛さを表現する症状を出し、回避行動を取ります。回避行動の多くは大人には許せない問題行動ですから、親や大人は子どもの問題行動を正そうとしてしかります。しかられると子どもはますます辛くなりますから、その場では良い子を演じるか、良い子を演じられない子どもは荒れるなどの問題行動をします。それと同時に子どもは辛さを生じる条件刺激を、しかった親や大人、その時の状況などに学習し、また辛さを生じる刺激により敏感になっていますから、ますます心が辛い子どもになってしまいます。

 心が辛い子どもは少しでも辛いことがあると強く反応して、強い回避行動を取るようになります。その回避行動が問題行動になる場合が多いので、子どもは大人からしかられます。子どもはますます辛くなり、ますます回避行動を強く出すようになります。その回避行動は良い子を演じる場合と、その場で暴れるなどの問題行動をするようになる場合、心の病の症状を出す場合があります。

 子どもが良い子を演じたとき、親や大人は子どもが親の要求を受け入れたと理解します。けれど子どもは親や大人がいなくなったとき、自分の辛さを解消するために、より酷い問題行動をしてしまいます。他の子どもをいじめたり、窃盗行為や暴走行為、性や薬物などの不良行為、新聞沙汰になるような犯罪行為をしてしまう場合もあります。子どもによっては心の病の症状を出す場合もあります。

 子どもをしかると直ぐに表面化しない、辛さを生じる条件反射を学習するという問題点があります。子どもをしかっても辛さを生じる条件反射を学習しないようにするには、しかったことによる子どもの辛さを埋め合わせる喜びを子どもに与えると解決します。子どもをしかった後直ぐに、子どもが欲しがる物を与えるとか、母親の共感の言葉とスキンシップです。これで子どもをした問題行動とを阻止できるし、辛さを生じる条件反射を学習することはありません。


かえって焦って

 ある三十代の青年との会話です。
「過去や将来のことは気にしないようにしても、どうしても気になって不安になってしまいます。その不安から、何をやっても本当に楽しいとはなかなか思えず、暗い気持ちのままでいます。」
と相談を受けました。

 青年が理由もなく辛い状態にいます。辛いから体が動かなくて、何もできないでいます。体は動かなくても思いは動きますから、将来のこと、過去のことを思って、現在の自分と比較してしまいます。それ以外のことに思うようにしようとしても、それ以外に思い浮かぶことがないし、何もしていないと自然と過去や未来のことが浮かんできて、それと同時に体中が辛くなります。
「このままではいけない。どうにかしなくてはいけない。どうしてよいかわからないから、アドバイスがほしい。」
と考え、辛さの悪循環に入ります。

 常識から言うなら、この青年の問題点を指摘して、好ましいと考えられる対応法をアドバイスすべきでしょうが、アドバイス通りに全くできないからかえって焦って自己否定を起こしてしまいます。より辛くなってしまいます。辛さの悪循環になるから、過去や未来のことを考えるなと言って無理なのです。何もできないなら、何もしなくて良いとアドバイスをしても、不安だけがどんどん押し寄せてきて、耐えきれなくなっています。
「それならゲームや漫画など、今できることだけをして、過ごしておいて欲しい。」
とアドバイスをするしかありません。すると青年は
「できることが何もない。何かできることを見つけなければならないのに、何も見つからないから、かえって焦ってしまう。かえって辛くなってしまう。」
といいました。

 その答えとして
「できることが無ければボーとして寝ているのも仕方が無いです。体が赴くままに動いて欲しい。あなたとしては許せないでしょうが、今のあなたで良いです。何もできなくて辛いあなた、こんな自分でだめだと思っているあなた、部屋に閉じこもってごろごろしているあなた。そのあなたで良いです。それが今のあなたにできることでしょうから。」


成長し直す

 息子が高校を退学してから今までの二年間の日々を振り返ってみますと、幼児から思春期までをもう一度、たどったような日々でした。

 初めのうちは自分の部屋に引きこもっていましたが、私(ある母親です)一人だけが家にいるときに部屋から出てきて、マッサージや、背中をさする、耳掃除など、スキンシップを求めてきました。一人になるのを恐がるかのように、私の後についてきたり、私の姿をよく探していました。ほとんどの時間を寝てすごしているときは、まるで赤ちゃんのようによく眠ります。

 その後、アニメなど、子どもの時に見ていたものを、また、見ていたり、漫画に熱中したりしていました。そうこうするうちに、私が出かけても、大丈夫になり、絵を描いたり、音楽を聴いたりと、小学校高学年以降の生活をしていました。

 その後、友達と出かけるようになり、今回のように一人で旅行も出来ました。父親との会話も弾むようになりました。私は「今はとにかく準備期間。これからは、こんな、ちょっと変わった人間が活躍できるようになるよ」と、一貫して信頼して、大らかに接していたつもりです。

 父親とビールを飲むようになり、ビールを飲む量が増え、その上未成年者なので、私は少し心配しましたが、「外で飲まれるより、ずっと、安上がりだし、安心。」と思い直すようにして、ビールがなくなれば箱買いして、ビールを切らさないようにしました。

不思議なもので、それも、落ち着いてきました。今はビールをほとんど飲まなくなりました。そして、本を読んだり、録画番組もアニメに加えて、教養番組も増えてきました。落ち着いて、何かに取り組む時間をもてるようになってきました。そして、今回、将来のことを考えられるようになってきました。何より、イライラすることが、ほとんどなくなりました。以前は、どこか、殺気だったところがある子でしたが、穏やかになってきました。

 今になって思うと、この二年間私自身がとても不思議な体験をすることができました。まだ、言葉でうまく現すことが出来ませんが、息子は幼いときから生き直しました。息子にとっても、私にとっても、必要な時間だったのだと思われます。


引きこもりからの解決法

 中学を卒業して二年を経過した息子は、ゲームばかりに没頭して、家の中だけの生活を続けていました。最近の息子は、しばしば「高等学校に行かなくてはならない」と言いました。母親は「学校に行かないで、家で息子さんなりに楽しく過ごすように」と言い続けていました。その息子が「今年はどうしても普通高校を受験をする」と言って、全日制の高等学校を受験しました。

 入学試験の第一日目、母親が試験場に自動車で送っていくと、途中から表情が硬くなり、到着してもなかなか車から降りませんでした。試験が始まる時間が近づくと、息子は意を決したかのように自動車から降りて一人で試験場に向かいました。

 試験から帰ってきた息子は「自分から二学年下の子どもと一緒にいるのは嫌だし、学校も思っていたのと違う」と言って、翌日から試験を受けませんでした。それ以外に私立の高校も申し込んでありましたが、それも入試を受けませんでした。その後すっきりとした顔をしていました。勉強の話は息子から全くありませんでした。

 先日Jリークの観戦に一人で出掛けていきました。その日までは、外出するときにはとても緊張をして、なかなか出かけられなかったし、出かけてもすぐに帰ってきましたが、今回はいつの間にか出かけて楽しんで帰ってきたようです。私はサッカーをよく知らないのですが、帰ってきてから試合の話を私にとくとくと聞かせ続けました。私もいつものように聞くだけ聞くようにしていました。

 それ以後、今までは夜中起きていて、昼間寝ていた息子が、夫が出社した後起きてきて、朝食を食べて、ほぼ毎日のようにどこかに出かけています。何かを始めたようですが、私はそれを知りません。聞き出そうともしていません。とても表情がよくなり、活動的になってきていますから、それでよいと考えています。


学校に行きたくなかったら行かなくてよい

 学校に行き渋る子ども、荒れたり問題行動をする子どもに、学校を休ませた方がよいと理解できた親の対応についてです。親が子どもに学校を休ませようと思い「学校に行きたくなかったら、学校を休みなさい」と言います。それでも子どもは「学校に行く」と言って、遅れて学校に行ったり、学校から帰ってきて荒れたりするので、どうすればよいかという相談をよく受けます。親の中には、親が行かなくてもよいと言っているのに、学校に行こうとするのは、子どもは本心から学校に行きたがっているからだと理解する親もいます。

 日本の子どもは、学校は行くべき所と徹底的に知識に教え込まれています。現在の日本の子どもには学校に行かない選択はありません。しかし不登校の子ども、学校に行き渋る子どもはその潜在意識で、学校を意識したり認識すると辛い身体症状が出て、学校を拒否せざるを得なくなっています。本心で学校を拒否していても、子どもの持っている知識と習慣から、子どもは学校に行かざるを得ない状態になっています。

 子どもが学校に行かなくてよいと親が思っているから、学校に行かない選択肢を親が与える積もりで、子どもの意思を親が尊重しようとして「学校に行きたくなかったら、学校を休みなさい」と親が言っています。子どもの潜在意識にある本心が学校を拒否していても、子どもにはなぜ自分が学校を拒否しているのか理解できません。学校に行きたくなかったらという選択肢を与えようとしても、子どもには届きません。子どもには学校に行かなくてはならないという選択肢しかありません。学校という言葉が出たら、子どもは学校に行くべきと言う知識しか思い出されません。学校の話を持ち出された子どもは、学校へ行きなさいと理解します。

 子どもに学校を休ませるには、「学校に行くな」とはっきりと言う必要があります。「学校に行くな」という言葉には、子どもに選択の余地はありません。親の意思で子どもを休ませようとしていると子どもは理解します。その親の学校を休ませる意思は、子どもの「学校に行けない」という本心と一致しますから、子どもは安心して学校を休めます。学校に行こうとしなくなります。

あごで使う

 引きこもりになって3年になる子どもが、最近居間に出てきて、テレビを見るようになりました。子どもの部屋にもテレビがあるのですが、それを見ないで、ソファに横になって多くの時間を過ごすようになりました。母親としてごろごろされているので邪魔でしょうがありません。ある相談機関でそのことを相談したら、引きこもりをやめて出てきたのですが、元気になってきた証拠ですと言われました。

 それでも手が届くところにリモートコントローラーがあるのに、母親を呼んで取らせます。ティッシュペーパーも直ぐそばにあるのに、母親を呼んで取らせます。そればかりでなく、鼻をかんだティッシュペーパーを母親に捨てさせます。母親が忙しくて答えられないと、子どもは大声で怒鳴り散らします。子どもはどうしたのでしょうか?とてもこのような姿の子どもを母親は許せません。

 常識的にはわがままでとても許してはいけない子どもの姿です。しかし子どもの心から言うなら、居間までの辛い心を母親で癒やされたい、癒やしてくれるかどうか母親をテストしたい、母親が子どもを信頼しているのかどうかをテストしたいと反応しています。この反応は子どもの本能からのテストであり、潜在意識の反応であり、子どもも意識的に行っているのでないです。子どもに言葉でいろいろと質問しても、子どもは答えることができません。

 母親が常識的に子どものわがままな姿を認めないで、しつけをしようとすると、子どもは母親に反発して、また引きこもってしまいます。母親がこの非常識な子どもの要求を、笑顔で、直ぐに、そのまま実行すると、子どもは母親がいやがるこの行動をある期間の後やめて、今度は全て自分でするようになります。そればかりか今度は、子どもは社会と関わろうとし出します。その子どもなりに引きこもりを卒業しようとし出します。


男の子を泊める

 不登校ですが引きこもっていない女の子の母親からの相談です。女の子がたびたび女友達を家に泊めていましたが、今回は男の子も一緒に泊めたいと言って来ました。母親は女の子を全てを求めてきていましたが、これだけはどうしても許せませんでした。女の子は納得できないと言って荒れて、家を飛び出していきました。

 女の子には男の子を泊める理由があったはずです。その理由が母親が一番いやがるようなものでしたら、女の子は家の外でそのことをしているはずです。わざわざ男の子を家に泊めて、母親が監視している家で母親が一番いやがることをしようとはしないでしょう。女の子には女の子なりに男の子を泊めようとする理由があります。それを無視して母親は母親の思いを優先してしまいました。

 常識的には母親がきっぱりと拒否して、母親が親としてのしつけを実行して、好ましい親の姿です。多くの大人は母親の対応を褒めるでしょう。しかし女の子は母親に強い怒りを感じています。母親に怒りをぶつけただけでなく、母親がいない場所でその怒りからいろいろな問題行動をしていたはずです。母親に不信感を感じて、母親の言葉がますます女の子に届かなくなっています。母親の思いとは逆の、母親の一番いやがることするようになる可能性が高くなります。

 母親が常識に反して男の子を家に泊めたら、女の子は女の子なりの目的を達成して翌朝を迎えたはずです。母親がいやがることを女の子は絶対にしません。それどころが母親との信頼関係が強まって、母親がいないところでも女の子なりの生活をして、決して母親がいやがることをしないばかりか、母親が喜ぶような行動を積極的にするようになります。

 では常識的にきっぱりと男の子を泊めることが悪いかというと、それは子ども次第です。今の常識ができあがった時代には、常識的な対応が効果的だったから、常識ができあがりました。現在でも心が元気な子どもには常識的な対応が効果的な場合が多いと思います。しかし現在の心が辛い子どもにとって、常識的な対応が子どもを苦しめているから、心が辛くなっています。その辛い心をますます辛くするような対応は、心が辛い子どもには逆効果になることを、現在の大人は認識すべきです。

不安から朝起きられない

 中学3年生の息子は水曜日から夜通しビデオゲームをして、翌朝そのまま眠らずに学校に行きました。学校から帰ってきたら直ぐに眠り込んで、夜中に起きてまたビデオゲームを続けて、翌朝もそのまま眠らずに学校に行きました。帰ってくると何か勉強をしていたようですが、9時頃には寝込んでしまい、翌朝は朝起きられなくて、学校を休みました。
 息子は朝起きられないことの不安を訴え続けています。どうにかして朝起きられるようにしてほしいと言います。それでいて夜早く寝るようにという親の言葉を受け入れません。朝起きられない不安をどのように解消したら良いでしょうか?

 不安状態の原因を見極めるのは大変に難しいです。不安は潜在意識の反応ですから、不安になっている当人ですら分からないです。子どもの言葉は子どもの理解であり、子どもの本心ではありません。子どもの理解とは親の言葉を受け売りしている場合が多いです。親にその気がなくても、親の思いを子どもが感じ取って言葉にしています。つまり親は朝起きて学校に行ってほしいと願っていると子どもが理解しています。学校に行かなければならないと行動しようとします。しかし子どもの潜在意識の本心は学校を拒否してして、学校に向かって体が基本的に動こうとしません。朝起きたときの子どもの心は葛藤状態になっています。それを周囲から見たら不安状態と理解できるのです。

 子どもが潜在意識の本心で学校を拒否している限り、学校に行かそうとする対応、学校に行かなければならないという思いは、子どもの心を辛くします。不安にします。この問題を解決するには、子どもの潜在意識の本心が学校を拒否しなくなるまで、子どもは安心して学校を休む必要があります。

行かないのか、行けないのか

 小学4年生の子どもの母親です。4年生になって直ぐに、突然子どもが学校に行かなくなりました。何とかして子どもを学校に行かそうとすると、子どもが悪魔のように荒れ狂い出しました。これは絶対に病気だと思って医大付属病院の小児精神科に連れて行きました。医者は子どもにいろいろと質問をして、薬を処方しました。

 家で子どもは絶対に薬を飲もうとしません。食事に混ぜたら子どもが私に向かって暴力をふるって、それ以後私の食事を食べなくなりました。担当医と相談すると入院させるように言いました。子どもが荒れてはいますが、入院させるほどのことはないと思えましたので、ネット上で子どもの相談に乗っている医者の指導を受けることにしました。

 ネット上の医者の指導通り、子どもに好きなだけゲームをさせると、子どもは起きている間中ゲームに耽りました。そのゲームをしているときには母親への暴力がなくなり、ゲームをしていないときも、母親への暴力がだんだん減ってきました。ただ、ゲームは夜中から朝まで続き、朝になっていつの間にか眠っている状態でした。

 常識的には好ましい子どもの姿では無かったのですが、子どもの姿がだんだん元気になり、母親にも優しくなりました。子ども一人を家に残して、母親は生活のために働きに行かれるようになりました。ネット上の医者の言うように変化をしていきましたので、ネット上の医者の指導にもう少し従ってみるつもりで母親はいました。

 12月に入ってまもなく子どもが突然学校に行くと言い出しました。ネット上の医者の指導に従って「学校に行かないで、家でゲームをしていなさい」と言い続けましたが、子どもは支度をして学校に行ってしまいました。夕方には笑顔で帰ってきて、学校であったことをいろいろと話してくれました。翌日も子どもは学校に行ってしまいました。母親はこのまま学校に行ってくれたらと思いましたが、ネット上の医者の指導に従って何も言いませんでした。その翌朝、子どもは「もう学校には行かない」と言ってゲームを始めてしまいました。母親はその理由を聞き出そうとしませんでした。

 以前の男の子は学校から逃げ出そうとしたり、保健室でブルブル震えて、スクールカウンセラーから病院へ行くように勧められました。しかし今の男の子は学校に行けるのですが、自分の意思で学校に行こうとしていません。学校に行かないという姿は同じでも、学校に行けないという心と、学校に行かないという心と、心は大きく違います。学校に行けないとは、学校から逃げたり学校を拒否する姿です。発展性のない心です。学校に行かないとは、学校に行かれるのだが、今は学校を必要としていない、学校を利用しないで成長する仕方を選択したという意味です。子どもが大人になったときに役立つ心です。

乱れた生活

 不登校の子どもの母親はスクールカウンセラーの指導に従って、子どもの生活を整えるように子どもに関わっていました。その子どもが夜遅くまで起きているようになり、朝も起きなくなりました。そこで母親はどうしたら子どもの生活をただせるのか、相談に来ました。

 不登校の子どもが規則正しい生活をすることは、不登校の子どもにとって大変に負担です。その負担に耐えて、無理をして生活を正していたのです。その無理の限界が来たから、生活を正せなくなりました。または、無理をして生活を正す必要がなくなったから、自分に素直に生活をし始めました。自分に素直な生活をすることは、子どものエネルギーを高めるのにとても大切です。

 今の不登校のこの子どもにとって生活が乱れる方が無理がない、自然な姿です。今のこの子どもには、安心して乱れた生活をする必要があります。安心して昼夜逆転の生活をする必要があります。この子にとって無理のない生活をして、そこでエネルギーをためられると、子どもは昼夜逆転をしなくなります。親が希望する生活のリズムになります。

 別の昼夜逆転をしている子どもが、昼間どこかに出かけるようになりました。親は子どもに登校刺激が加わって、子どもが無理をして外に出ていると理解しました。子どもの心を元気にするのに好ましくないと考えました。しかし、もし子どもに登校刺激が加わっているなら、子どもの調子が悪くなるはずです。子どもの調子が悪くならないで、それでいて時々外に出て行くなら、子どもにエネルギーがたまってきて、その子どもなりに外に何かを求めて出始めたと考えられます。引きこもりを止めようとする兆候だと考えられます。

ネット依存

 ネット依存に関する厚労省研究班の大規模調査が報告されました。そこでの議論のは、ネット依存が多くの子どもの問題行動の根源と考えています。ところが子ども達は楽しさを求めてネットに没頭しているだけです。ほかにもっと大きな楽しさがあれば、子ども達はネット依存を止められます。

 大人の依存症や中毒の概念を子どもの心に当てはめることは間違いです。また研究班の人は子ども達にあるストレスが子どもをネットに依存させている事実を知らないようです。

 ネットを制限すると、イライラしたり、学校や部活動に支障が出たりしている中高生がいると言っています。しかし子ども達はネットに依存することで、ストレスだらけの学校や部活を維持しています。夜眠られない、朝起きられないのも学校が辛いからであり、眠られない辛い夜の時間をネットをすることで過ごしています。食欲がなくなるのも、勉強ができなくなるのも子どもの周囲に辛さがあるからです。その辛さを打ち消すために子ども達はネットに依存しています。

 子ども達のストレスから子ども達の心を守るのにネットに没頭することは、現在の子どもには必要なことです。ネット依存と考える大人は、子どもが素直に成長をしたいという子どもの本能を否定することになります。

ゲームの効用

 「Molecular Psychiatry」誌に掲載された新たな研究結果では、ビデオゲームをプレイすることによる多くのメリットが示唆されている。この研究では、「ビデオゲームをすることによって、空間認識、記憶形成、戦略計画、および運動能力をつかさどる脳の領域が成長する」と結論付けている。

 研究は、ベルリンのMax Planck Institute for Human DevelopmentとCharite University Medicine St. Hedwig-Krankenhausが共同で行ったもの。科学者らは、23人の成人に「スーパーマリオ64」を1日30分、2カ月にわたってプレイさせた。対照となるグループは同じ期間、ビデオゲームを一切プレイしなかった。

 脳のスキャンにより、ゲームをしたグループには、右海馬、右前頭前皮質、および小脳において灰白質の「顕著な」増加が見られたことがわかった。さらに、ゲームをしたグループではプレイに対する欲求と増加量に相関関係があった。

 子どもたちにとってのゲームの効用はこれだけでない。ゲームに没頭することで辛い思いを忘れることができるから、子どもたちにとって辛い学校にも無理なく行けるようになる。ただしゲームをする時間分だけ、宿題をする時間が少なくなることも事実ですが、ゲームをした後は、またはこれからゲームができると意識することで、宿題をする時間効率が良くなることも事実である。

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