子どもの心は大人の心と異なる

心の問題を扱うとき、多くの場合経験的な事実から答えを出してきます。心の問題を科学的に扱おうとするとき、今は主として統計的な処理から答えを求めています。

心は脳の機能ですから、脳を科学的に考えることで、今まで以上に心を科学的に扱うことができるようになります。心という意味で脳の機能を考えると、大きく分けて言語で表現される心の機能、習慣からの心の機能、情動の機能の3つに分けることができます。

言語で表現される心の機能とは、大人が意識的に行っている機能(頭頂葉から側頭葉にかけてと、前頭前野の機能)です。言葉で考え、判断し、行動をする機能です。言語で表現される心の機能は、どの年齢でも言葉で表現することができますが、行動に表現するには思春期を超えなければなりません。思春期を超えて意識的な行動の練習を重ねることで、可能になります(先頭前夜の機能)。

習慣からの心の機能は、それまで情動行動を繰り返した結果、又は意識行動を行った結果、全く同じ行動が意識に上らない判断で実行されてしまう場合(前頭葉の機能)です。

情動からの心の機能とは、生じた情動で行動をしてしまう場合(大脳辺縁系の機能)です。この行動は具体的にはいろいろありますが、その根底にあるのは接近系の行動と回避系の行動に分けられます。情動(本能も情動に入ります)の特徴として、情動は2,3歳頃までに完成し、それ以後基本的に変化をしません。一生を通して同じように情動反応を生じます。

子どもは生まれると、まず情動からの行動をはじめて、その行動を繰り返すことで習慣の心からの機能から、情動を生じなくても習慣的な行動が可能になります。しかし今までの習慣にない行動をするときには、報償か罰を与えることで、情動行動という形で新しい行動をすることが可能になります。その報償か罰を与えてそのたっらしいこうどうを繰り返すことで、少々や罰がなくても、習慣からの心の機能でその新しい行動を続けることが可能になります(躾け)。

その間、子どもは知識を増やしていきます。その知識に基づいて大人顔負けの言葉を発します。しかしその知識からの行動は不可能に近いですから、大人から報償か罰を与えないと、その行動はできません。報償か罰があるときにはその行動をしますが、報償や罰がないところではいくら知識があったとしてもその行動をしません。

ところが思春期を超えてある時間経つと、子どもはその知識からだけで行動が可能になります。大人の行動になります。大人の行動になるばかりでなく、同時の生じた情動を無意識に調節してしまい、あたかも情動が働かないように見えるようになります。

それをまとめますと

子どもは知識から言葉を発しますが、言葉通りに行動はできません。言葉通りに行動をさせるには、報償か罰が必要です。子どもの行動の主たる部分は情動からの行動です。この情動行動を繰り返すことで、情動を生じなくても、習慣から行動が可能になります。子どもは幼ければ幼いほど情動行動が中心になり、年齢が進むと習慣からの行動が多くなっていきます。

大人は知識から行動をします。理性的な行動です。それと習慣からの行動とで社会生活をします。情動は意識から調節されていて、あたかも働いていないように見えます。この情動が調節できないほど強くなったときに、激情、パニックという状態になります。

思春期からの数年間(心が元気な子どもでは2,3年ですが、心が辛い子どもでは大人年齢までになる)は知識からの行動と情動行動との混在期間になります。今まで知的でおとなしかった子どもが突然荒れ出すのはこの時期になってからです。


このように大人の知識からの反応の仕方を子どもに当てはめても、それだけで間違いです。ですから大人の間で成立する心の反応の仕方は、多くの場合子どもには当てはまりません。しかし子どもの心の反応の仕方は大人にも良く当てはまります。大人の心を研究する場合でも(心理学)子どもの心を研究する場合でも(小児心理学)、子どもの心を知らないと、科学的な、実効性のある心理学はできあがりません。


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