心が辛い子どもの居場所 2017.9

$$1子どもの居場所とは

子どもには衣食住を満たしてくれる場所(居場所)が必要です。子どもはその本能から、居場所を求めています。子どもに取って居場所がないと子どもの生命が危険にさらされますから。子どもが成長して自然淘汰に耐えられるようになるためには、人間の場合人間社会の中で生きていくためには、生きるための能力と心の成長が必要です。そのために子どもの居場所には子どもが信頼できる大人の存在が必要です。

子どもの居場所は子どもに取って危険(情動の回避系)があってはなりません。危険があっても短時間に危険が去る必要があります。このような居場所には母親の存在が好都合です。母親は本能から子どもを危険から守ろうとしますし、子どもは暖かくて、柔らかいその母親の肌に触れることで、安心感(情動の接近系)をその本能から感じることができます。

情動の接近系が機能をし出すと、子どもは成長のための本能が機能をし出します。子どもは何かを求めて動き出します。危険を感じたら居場所に逃げてきます。危険が去ったら、子どもは居場所から出て又何かを求めて動き出します。その何かを求めて動いているときの経験が、その子どもの能力を高めていきます。危険を回避したり乗りこえる能力を子どもに与えます。

人間の場合心が辛い子どもが居ます。人間以外の動物ではこの状態の子どもは淘汰されてしまいますから、存在しません。心が辛い子どもでは、いつも回避系が機能をしています。社会の中で子どもの回避系が絶えず機能をしていますから、回避系のない居場所に子どもは逃げていき、回避系が機能をしなくなる時を待つ必要があります。心が元気な子どもでは、社会の中で子どもの回避系が機能をしても、居場所(母親がいさえすれば)に逃げ帰ると回避系がまもなく消失して、又社会の中に出ていくことができます。

心が辛い子どもは回避系の反応が極めて強い子どもです。居場所にいてもその回避系はとても敏感に反応をします。又居場所の中に子どもの回避系が機能をするような物がある場合もあります。それらの回避系を押さえつけて子どもに接近系を与えられるのは、母親からの信頼とスキンシップ(母性)です。子どもの本能では、母親からの信頼とスキンシップがどのような回避系にも打ち勝つ接近系として機能をします。

母親によっては母性が発揮していない場合があります。その場合には子どもは色々な形で母親の母性を引き出そうとします。その母性を引き出そうとする子どもの行動は、母性が発揮していない母親には辛い行動です。子どものこの母親へ辛い行動を少なくする母親の対応が、母親に母性が機能をしている母親の姿です。


$$2 「家の中」

心が辛い子ども(以後子どもと表現します)は、少しでも心が楽になる場所(接近系が有る場所、又は回避系が弱い場所)に逃げていきます。これは脳の仕組み(情動の回避系)がそうさせます。逃げる場所がないときには、子どもは荒れたり、問題行動をしたり、心の病の症状を出します。別の言い方をすると、子どもが自分の部屋の中で荒れたり、問題行動をする、心の病の症状を出すときには、子どもが逃げていく場所がないと理解して間違い有りません。そして子どもが今いる場所がその子どもに取って他の場所と比較して一番心が楽な場所と子どもが判断している場所です。

子どもが回避系のない場所に逃げられたら、子どもには自発的に生じる接近系=エネルギー)が有ります。それは大人に無い物ですから、大人は子どもについてついつい無視してしまう物です。子どもがそのエネルギー(情動の接近系を生じる物)を貯めて高めていきますと、子どもは逃げた場所の外にある回避系をそのエネルギーで解消をして、逃げた場所の外に出て行くようになります。

子どもに取って回避系のない場所として、それまで過ごしてきた自分の部屋が一番好ましいです。又、あらゆる回避系を解消してくれる母性が働く母親の側(母親から守られている場所)が一番良いです。子どもが自分の部屋で辛そうにしていると言うことは、部屋の中にも未だ回避系が有ると理解できます。子どもが自分の部屋で楽しそうにしているのは、子どもの部屋の中に回避系がなく、エネルギーが貯まり始めたと言う意味になります。

子どもが部屋の外に出てきて、家の中で楽しく過ごしているなら、家の外に未だ回避系が有るという意味になります。家の中には回避系がなくなったか、有っても母親の母性やその他の接近系で打ち消されているという意味になります。家の中に接近系が多くなり、回避系が少なくなったりなくなると、子どもはますますエネルギーを貯めて(回避系が少ないほど早くエネルギーは貯まります)、家の中だけで子どもが求める物が無くなるので、家の外の接近系を求めて、回避系に挑戦するようになります。

子どもが自分の部屋でなく、家の居間で過ごしている姿がエネルギーに富んでいる姿なら、多くの場合自分の部屋で過ごす必要が無くなったという意味で、必要ならいつでも自分の部屋で過ごせます。

子どもによっては居間には回避系がないけれど、自分の部屋には回避系が有るという場合もあります。この場合には自分の部屋に戻ることができません。その場合は今ひとつどこが子どもに元気がありません。エネルギーが不足気味です。

例外もないわけではないですが、一応このように考えて母親に対応をしてもらう必要があります。


$$3 「家の外」

不登校引きこもりの子どもが家から出る場合、
1)家の外の方が家の中より嫌悪刺激が少ない(親が家の外に押し出す)
2)家の中に回避系はないが、家の外に大きな接近系が有り、それを求めて家を出る
3)子どもの心が元気になると、自発的な欲求から目的もなく何かを求めて家から出る
と大きく分けて三つの場合があります。

2)と3)は家の外に居場所を必要としません。家が居場所だからです。子どもに取って自分が育ってきている家は他に掛け替えのない居場所なのですから。

1)は家の外に居場所を求めます。子どもに取って最高の居場所は自分の家です。しかし自分の家に居場所を求められないから、家の外に居場所を求めなくてはなりません。その意味では子どもに取って不本意な居場所です。

子ども自身が見つけられる家の外の居場所は子ども同士がたむろっている集団です。
親が与える居場所はフリースクールや色々な支援サークルです。家の中に居場所を求められない子どもはこれらに属さなければなりません。これらの居場所が子どもの求めている物に合っているとしても、子どもに取って母親の側である家の中が一番好ましい居場所です。子どもはよい子を演じてあたかもこの与えられたい場所を喜んでいるように振る舞います。

親が与えた居場所が子どもに取って辛かったら、子どもはその居場所に行こうとはしません。家の中に逃げ帰って、家の中は安全な居場所でないので、子どもは荒れたり問題行動をしたり、心の病の症状を出す様になります。

親が与えたい場所が子どもに取って辛くても、よい子を演じられる範囲なら、子どもは他に行き場がないので、これらの居場所に行きたい、これらの居場所は楽しいと言います。一方でこれらの居場所は子ども達にとって楽しい居場所に工夫して作られています。ですから子どもはこの居場所の中でよい子を演じ続けることができます。よい子を演じ続けて居る内に、その子どもなりに何かその子どもらしさを見つけられたら、子どもはその居場所に行き続けます。それでも母親がいる自分の家にはかなわないのですが、多くの親はその事実に気づかないで、親が与えた居場所に期待をし続けてしまいます。

これらの居場所で本当に子どもの心が元気になれるでしょうか?これらの居場所の中にその子どもらしさを見つけられた子どもは確かに元気になれます。元気になって学校や社会に出て行ってくれます。その様な子どももいることは事実です。しかしそれはその居場所を利用する子どものほんの一部です。多くのい場所を利用している子ども達はよい子を演じてやむを得ず通い続けています。なかなか元気な子どもになれません。

これらの居場所に属していて楽しくしている子ども達の本心は、家で、母親の側でその子どもなりに生活し成長をすることを、その子どもの本能で求めています。しかしそれが許されない子ども達です。そこで子どもによってその程度は異なりますが、子どもは葛藤状態になります。心が辛くなります。その辛さを居場所が持つ楽しさで薄めて子どもは生活し成長をしていきます。心の成長にとても非効率です。子どもの心の成長が遅いか、心の成長を来さない子どもが多くいるのではないかと推測されます。


$$4 結論

子どもがその本能から求める居場所は、母親や子どもが母親と認識する人の側です。それは多くはその子どもの家の中です。子どもは居場所で回避系を解消して、接近系を高めて、その接近系から家の外と関わろうとします。家が子どもの居場所となっている限り、家の外に居場所は必要ありません。

子どもが家の外に居場所を求めているときには二つの可能性があります。
1)家にい場所があり、接近系が十分にあって、家では得られない接近系を求めてい場所に来ている場合
2)家に居場所がなくて、家の外の居場所を求めた場合か、親が家から押し出し与えた居場所にやむを得ずいる場合
があります。



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