心が辛い子どもと母親とのスキンシップ
日本文化では親子の間でもスキンシップを余りしません。特に子どもが大きくなったら殆どしません。それは欧米の文化との違いの一つです。日本には日本特有の文化があって、それが欧米と異なっていても、それはそれで良いですし、欧米に日本人の文化を合わせる必要がありません。
心が辛い子どもでは、子どもの情動で回避系の反応が絶えず生じています。心が辛い子どもの心を元気にするには、この心の中で起こっている回避系の反応を止める必要がありますし、早く子どもの心を元気にするには、かえって接近系にする必要があります。
心が辛い子どもでは絶えず情動で回避系の反応が生じているために、子どもから接近系を求めるのが大変に難しいです。それ故に先回りをしてでも子どもの心に接近系を与える必要があります。しかし大人が考えた子どもに取っての接近系が、心が辛い子どもでは回避系になっていることが多いです。大人が子どものためにと考えて与えた接近系は、心が辛い子どもでは回避系であることが多いので、かえって心が辛い子どの心をますます辛くします。決して先回りをして、心が辛い子どもに大人が対応をしてはいけない理由です。
ところが母親と子どもとの間には、100%確実で、それも最強の接近系が有ります。それは母親と子どもとのスキンシップです。母親(母親が居なくても子どもが母親と認識する人)が子どもにするスキンシップはどんなに辛い子どもの心も確実に癒やすことができます。ですから先回りをしてでも心が辛い子どもに母親のスキンシップを与えることができますし、心が辛い子どもの心を癒やす最も優れた対応法の一つです。
ところが子どもの方から母親からのスキンシップを嫌がる子どもがいます。それは子どもが母親のスキンシップそのものを嫌がっているのではなくて、一番嬉しいスキンシップを拒否してでも伝えたい、今の母親の対応が子どもの心に沿っていないというメッセージを表現しているだけです。ですから、そのような母親でも、強引に子どもとスキンシップをすることが可能ですし、した方が良いです。「母親が子どもとスキンシップをしたい」という理由だけで良いです。それ以外の理由を付けない方が良いです。
子どもの方から母親からのスキンシップを嫌がる理由には二つあります。一つは子どもに登校刺激が加わっている場合です。母親がその登校刺激から子どもを守っていない場合です。もう一つは子ども自身の自己否定です。母親からありのままの子どもを認められていないから子どもが自己否定を起こしています。母親が子どもに加わっている登校刺激と自己否定を先回りをしてでも解決してあげると、子どもは素直に母親のスキンシップを受け入れてくれます。それ以後子どもは元気に動き出します。
日本の子どもの場合、心が辛いときには子どもは登校刺激と自己否定で苦しんでいます。それ以外に子どもが苦しんでいる理由を見つけられたとしても、それらは子どもの心が辛くなっている原因の枝葉、派生因子であり、根本的な原因ではありません。例え家庭内の問題で子どもが苦しんでいる可能性があったとしても、日本の子どもの場合その問題は登校刺激や自己否定から生じているのであり、家庭内の問題だけで子どもの心が辛くなっているのではありません。母親がしなくてはならないことは、スキンシップと一緒に、先回りをしてでも登校刺激と自己否定から子どもを守ってあげる必要があります。
念のために述べておきます。母親からのDVで辛くなっている乳幼児がいます。この場合乳幼児は未だ登校刺激が存在しません。自己否定も存在しません。乳幼児は母親のDVに苦しんでいても、その苦しめる母親を大好きです。その苦しめる母親とのスキンシップを求めます。子どもにスキンシップを与えることで、母親の母性が引き出され、母親からのDVが解決できる場合があります。
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