熊本地震について、心の傷の使い方を見てみます。
大人の場合「思い出すと辛くなる記憶」として使われているようです。その人として辛い経験をした記憶が辛い情動を引き起こしているという意味で、その人の辛い形記憶を他の人も理解可能な記憶を指しています。つまり嫌悪刺激なのですが、その人にとって思い出す頻度が大きいという意味を指しているようです。
子どもの場合
>怖い目にあった体験を言葉で周囲にうまく伝えることができません
とあるように、大人と同じように思い出すと辛くなる記憶と考えられています。つまり陳述記憶、意識に上る記憶です。元来子どもは経験を言葉にすることは大人のようにできません。また、辛かった経験を言葉で聞いても、必ずしも辛くなりません。子どもの辛さは情動から生じます。情動記憶から子どもは辛くなります。
大人では陳述記憶と情動記憶とはほぼ一致していますが、子どもでは別物と考えた方が間違いがないです。情動記憶は言葉になりません。子どもが言葉で辛さを訴えることが必ずしも子どもをとても辛くしている物とは限りません。もちろん言葉で訴える辛さを信じてあげる必要がありますが、言葉にならない部分にもっと大きな辛さの原因があるという意味です。
重要なことは子どもでは自分の辛さを言葉で表現できないと言って良いと思います。表現できないから大人からの言葉を利用して表現します。辛くて苦しんでいる子どもがそのときまでに投げかけられてきた言葉、そのとき投げかけられた言葉をそのまま利用して表現します。ですから、大人がその言葉から感じる辛さと子どもが感じている辛さと異なっていることが多いです。
熊本でも、東日本大震災でも、子どもの心のケアとしていろいろと設問を示してそれを選択させる方法が採られます。その結果は子どもに与えた設問で異なってきます。又自由記述欄があったとしても、そのときに言われ続けたことを子どもは記載してしまうのであり、子どもの本当の辛さとは限りません。結果は大人から誘導されたと理解するのが一番でしょう。
PTSD・心的外傷後ストレス障害に繋がる恐れを専門家は心配していますが、もしこの震災でそれを子どもが持ったとしたなら、脳の仕組みから言って、それはもう既に表れているはずです。慢性PTSD・心的外傷後ストレス障害というなら、この震災で辛くなった子ども達の辛い心を理解しないでストレスを大人が与え続けることで生じます。心の傷を間違って理解して、子どもを苦しめるような対応を続けていることから生じます。この際に大人ではよかれとして行っている大人の対応が、子どもを苦しめていることに気づく人が殆ど居ないことを指摘しておきます。
症状について、「一人で家にいるのが怖い」、「突然物音に敏感になったり、イライラしたりする」、「災害のことを思い出して突然おびえたり混乱したりする」といった症状があげられています。災害時のことを思い出してとありますが、これは言葉通りなら陳述記憶です。子どもの場合陳述記憶から情動を生じることは限られた条件の下で生じるだけです。子どもの場合情動を生じる記憶とは情動記憶です。これらの症状は情動反応であり、情動記憶は子どもの意識には上りません。
情動記憶なら、子どもは何かの刺激を受けて、これらの症状を出しています。決して脳の中でてんかんのように生じているのではないです。どんな刺激を受けてこれらの症状を出しているのか、それは子どもによって同じではありません。また見つけることも大変に難しいです。ですから原因を回避しようとしても不可能に近いです。
情動記憶といえども記憶です。記憶は呼び起こされないとだんだん弱まって、忘れ去られていきます。記憶は呼び起こされるとだんだん強化されて消えなくなります。それ故に情動記憶を呼び起こさない環境が子どもには必要です。記憶を呼び起こさない居場所が必要です。心が安全な場所です。その場所には地震に関係した物があってはいけないです。あればその内の何かで子どもの情動記憶が喚起されて子どもは辛くなるし、子どもの辛い情動記憶は消失しないばかりか強化されていきます。
子どもの場合カウンセリングは悪影響はあっても良い効果はありません。カウンセラーによって辛い情動記憶が呼び起こされたときには逆効果です。子どもの場合辛い情動記憶に触れないで時間の経過を待っていることで、情動記憶は消失していきます。
子どもが地震の際に学習したfecorを考えてみます。急に揺れて家の中がめちゃくちゃになったことでどれだけ子どもが恐怖を感じるかでしょう。激しい揺れはそれだけで恐怖を生じます。物が落ちる音など、今まで経験したことがない出来事も恐怖を生じます。それらで大人が恐怖状態にあることに共感して、子どもは恐怖状態になります。それらは単に恐怖反応です。
今まで学校内の辛さや家庭内の問題などで心が辛い経験が多い子どもは、恐怖に敏感になっています。その子どもは、地震の際に見た物、聞いた音、臭いなどの何かにfecosを学習して、それに反応するfecorを学習した可能性があります。今の医学で言う急性のPTSDです。以後この子どもはこの地震の際に経験した何かに反応をして辛くなります。その何かは複数の可能性も高いですが、その何かを経験しない限り、その何かを思い出さない限り、fecorは反応をしませんから、辛い症状を出しません。
「一人で家にいるのが怖い」、「突然物音に敏感になったり、イライラしたりする」、「災害のことを思い出して突然おびえたり混乱したりする」などは、fecorの症状の可能性が高いと思われます。大人が、そして当人もfecosと気づいていない物に晒されて、fecorが反応をしてこれらの症状を出しています。これらの症状は嫌悪刺激への回避症状だからです。つまりfecosが子どもの身の回りにあり、それが子どものこれらの症状の原因だと気づかないために、これらの原因から逃げだそうと子どもはしないし、親も逃げ出させようとしないからです。
あくまでも推測ですが、熊本地震後の子どもの心のケアとして関係者が気づいた物の多くは、大人の対応に子どもが誘導されて答えた物が多いと思います。一部に本当に辛い子どもが居るはずですが、その子どもが言葉で訴えている辛さと子どもがその情動で感じている辛さと異なっている可能性も高いと思います。大人の心の傷の考え方を子どもに当てはめているので、子どもの辛さが誤解をされていると思います。その対応法やその経過も大人が作った仮定とその想像的な経過観察からなされていて、子どもの心に沿っていない対応が堂々となされています。それでも子どもの居場所を作ろうとしていることは間違っていません。子どもが楽しく過ごせる場所に子どもを保護することでfecorが消失することが期待できるからです。
戻る