パニック障害と優しさ、真面目さ。

 パニック障害の基本的な神経病理は恐怖を起こす条件反射です。つまり、恐怖を受ける、恐怖を感じる状態にある人の一部が、パニック障害に陥ります。しかし恐怖を受ける人がすべてパニック障害になるわけではありません。それはなぜでしょうか?それを考えるためには、恐怖とは何かを今一度考えてみる必要があります。恐怖というものを考えるとき、私たちはまず「怖い」と感じることを思い浮かべます。確かに怖いと感じることは恐怖の一部ですが、全てではありません。たとえば、寂しい墓地などで一人でいるとき、何か聞き慣れない音がしたりすると、胸がどきんとして一目散に逃げ出すことがあります。その時は怖いと考えていません。後から考えて怖かったとわかります。つまり「怖い」とは、意識に上った恐怖であり、必ずしも怖いという意識に上らない恐怖もあります。人間以外の動物は決して「怖い」またはそれに相当する言葉を言いません。しかしその動作から、恐怖を感じていることは、それを見ている私たちに簡単にわかります。では言葉に上っても上らなくても、恐怖とは何かをもう一度考えてみます。人間を含めて全ての動物で、その個体に好ましくない刺激が加わると、その動物は逃げ出します。逃げ出せないときには暴れます。攻撃をしてきます。それでも解決しないときは、動物はその場にうずくまって動かなくなってしまいます。このような三つの状態を取る場合を、恐怖を受けている状態だと言えると思います。客観的な観察から得られる恐怖とはこの三つの状態に集約できます。その際に怖いと感じるか、感じないかは、その個体の、とりわけ人間の主観上の問題にしかすぎません。そしてパニック障害は動物で言う、うずくまっている状態に相当します。

 この恐怖に対する動物の行動は人間にもそのまま当てはまります。恐怖の刺激が来たときに逃げ出せる人はパニック障害になりません。また、恐怖の刺激が来たときに、その刺激の根元に対して戦いを挑む人も、パニック障害にはなりません。ところがパニック障害に陥るほとんどの人は社会制度、家庭制度にしっかりと縛られた人です。恐怖の刺激から逃げ出せない状態にあります。それはその人がとても優しくて、真面目で、逃げ出すことができない人です。暴れたり戦ったりすることが苦手な人です。それ故に自分からこれらの枠組みを壊せない人です。このように申し上げると、「私には恐怖が無いのにパニックになる」と言われる方が多いと思います。それに対しては、前にも述べましたように意識に上らない恐怖があるからだと申し上げます。そればかりではありません。恐怖を起こす原因、恐怖の刺激が、パニックを起こす人にだけ恐怖をあたえることが大半だからです。普通の人には恐怖の原因にならない刺激で、パニックを起こす人は恐怖を感じるようになっています。そのために、周囲の人にはなぜその人がパニックになるのかわかりません。そしてパニックを起こしている当人も、なぜパニックを起こすのかわからないと言う事実を生じます。今までパニックが怖くて家から外へ出られない人を数みてきています。それらの人について私の経験では、活動的な人の声、雑踏の音などにパニックを起こしている人を多く見かけています。

 パニックを起こす人は間違いなく優しくて真面目でとても良い人です。幼いときから悪いことができないで、じっと耐える傾向があります。そのために加害者の犠牲になりやすく、また繰り返し被害を受けるために、心の傷を深く大きくしていきます。その心の傷を深く大きくしていく過程で、パニック障害を起こしている人は、汎化した恐怖を生じる条件刺激で苦しんでいます。汎化した恐怖の条件刺激は、恐怖を起こすよりも、不安をもたらすことが多いです。予期不安です。この予期不安は恐怖を生じる条件反射とは似ても似つかない物で起こるため、何で予期不安を起こすのか、その条件刺激を見つけだすことは不可能に近いです。つまりパニック障害で苦しむ人は、大元の恐怖を起こす条件反射とそれを繰り返したことによる不安の条件反射との二つに苦しんでいることになります。ただしパニック障害で苦しむ人の、恐怖の条件刺激が一つ、不安の条件反射が一つ、と言うわけではありません。繰り返し受けた恐怖により、いくつかの恐怖を生じる条件刺激、いくつかの不安を生じる条件刺激が関与している場合が大半です。

 

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