子どもの立場からの登校拒否、不登校、いじめ、引きこもりについてQ and A version 4
{3。 いじめ、いじめられ }(2)いじめと子ども
「いじめめを受けている子どもは何故いじめめを口に出して言わないのでしょうか?」 目次へ戻る
いじめで子どもの自殺者がでる度に、何故子どもはその両親にすらいじめられていたことを話さなかったのだろうという疑問が涌いてきます。専門家などは「子どもは未熟だから、死の恐ろしさを知らないためであろう」と堂々とマスコミで述べています。私にはとてもそうとは思えません。なぜなら犬猫はもちろんもっと下等な動物でも死の恐ろしさを知っているからです。自殺する子どもは死ななくてはならないほど追い込まれていたのです。この考え方が正しいなら、自殺をマスコミで扱うことにより自殺が流行することは有りません。ただ、子どもは自殺をすれば自分の苦しみを社会に訴えられるという事実を知るでしょう。今まで私の知る限りでは、いじめで自殺した子どもが自分がいじめられていた事実に触れた例は少ないようです。いじめを受けていた子どもが自殺したいと話した理由と、自殺した子どもの自殺した理由とが必ずしも同じとは限らないと私は思います。自殺した子どもはもっともっと追い込まれていたはですから。そこで次のようなことが推定されます。
1・仕返しが怖いと言う理由は解り易いです。しかしこれだけで自殺まで追い込まれるとは考え難いです。
2・自殺した子どもは皆大人しくて優しい性格だったので、自分がいじめを受けていることを親に教えて親を悲しませたくないという理由です。これはいじめを現に受けていた子どもが話したことです。しかしこれは子どもが後から自分の受けたいじめを分析しての話で、子どもの心の構造を考慮して分析したとき、いじめをまさに受けていた最中に、そのように考えていなかったと思われます。子どもはいじめられていたとき、何も考えられなかったと思います。ただ、体の内から沸き上がる苦しみに耐えていただけだと思います。
3・子どもは遊びの名人です。いじめの対象が逃げ出さないように、じわりじわりといじめられている子どもの逃げだそうとする意欲を奪い、動けなくして、いつまでも自分達の遊びの活けにえにしています。いじめられている子どもを洗脳して、いじめられているのが当り前と思うようにしてしまうのです。その結果自己否定に陥り死を選ぶ可能性は十分にあると思います。
4・いじめられている子どもが自分でその事を話すとき、または他人がその事に言及するとき、その子どもはそのいじめを再体験することになり、大変苦しくなり、それを避けようとします。これは登校拒否の例で良くみられます。しかし遺書や日記を書くと言うことはこの理由では説明できないとおもいます。
5・傷ついている子どもはそれだけで十分に辛い状態にあります。その上、いじめられている事を話す事により他人がそのいじめに言及すると、その子どもの傷の痛みは何倍にも辛くなります。そのため子どもは他人が自分の傷に触れられることをいやがります。これが理由ですと遺書、日記、留守番電話等にメモを残した事が理解できます。
もし私の推測が正しければ、いじめられている子どもは貝のように押し黙って、体を小さくしてじっとしているはずです。いじめと言う嵐が過ぎ去って行くのをじっと待っていると思います。換言すれば、いじめを受けている子どもは親にも友達にも(自分の傷に触れてこない友達は別だが)警察にもいじめ110番にも自分のいじめを打ち明けることは無いと思われます。私達親が見つけ出すしかないと思います。いじめを受けている子どもがいじめ110番に電話をかけても、相手が出たら電話を切ってしまうと思います。かえって留守番電話だとそこにメモを残す事はありえます。しかし決して名前を明かさないでしょう。
「いじめられている子どもがいじめをしている場合があるということですが。」 目次へ戻る
いじめは登校拒否を起こした子どもの一部が、ストレスを発散させるために行っています。多くの例で、学校へ行かされている事への回避行動として行っています。いじめる対象は自分より弱い子ども、逃げられない子どもです。
グループでいじめを行っている場合には、いじめる、いじめられるの間に階層構造が有ります。いじめの大本の子どもは自分より弱い立場の子どもをいじめます。そのいじめられる子どもはより弱い立場の子どもをいじめます。その結果、一番弱い子ども、いじめのできない子どもが最終的ないじめのターゲットになります。グループでいじめを行っている場合には、腕力的に強い子どもでも孤立して逃げ出せないと、ターゲットになる場合があります。いじめに加わっている子ども達にとって、いじめられる子どもの存在は必要です。いじめの対象が無くなるといじめはできませんから、いじめの対象が逃げ出せないように、いじめは巧みに行われます。人前ではいじめは遊びの形で行われます。人前でなければ陰湿な形になります。
「いじめの傍観者もいじめに加担していると言う人がいますが」 目次へ戻る
いじめには必ずしも傍観者は必要ありません。しかし、いじめをより効果的にするには、傍観者が必要です。いじめは遊びの形で行われます。その遊びの中でいじめられる子どもが苦しめられます。その苦しんでいる姿でいじめる子どもは自分を維持していますから、いじめを受けている子どもが苦しめば苦しむほど、いじめは効果的になります。いじめられている子どもが他の子ども達(傍観者)に晒されてより苦しむと、いじめは効果的になります。
傍観者にはいじめがいじめと理解できません。遊びの一環として理解されます。いじめと理解する子どもがいても、いじめだという証拠がないので、問題だとして表沙汰にできません。いじめられている子どもも遊んでいるだけと言いますから、傍観者にはいじめを防ぐ方法がありません。