子どもの立場からの登校拒否、不登校、いじめ、引きこもりについてQ and A version 4
{ 一般的な質問 } (3)子どもの成長過程

子どもに理性的な行動ができないのは?」  目次へ戻る
 乳幼児の行動の全てが情動反応です。幼児になると、繰り返し経験したことから行動を行う習慣の心の機能が出てきます。しかし殆どが情動反応による行動か、情動反応に裏打ちされた習慣の心からの行動です。この場合、情動反応を生じるようなご褒美や罰が無ければ、その行動を行いません。学童期になると習慣の心からの行動が増えてきます。基本的には、思考の心からの行動は殆どありません。情動が安定しているときには自分でいろいろと考えて(思考の心で)行動できるようになります。子どもが成長するに従って、習慣の心からの行動が中心になります。それに付け加えて、思考の心による行動も増えてきます。それを補うのが学校教育です。しかし子どもが辛い状態にあるときには、習慣の心と情動の心で行動をしています。強い刺激が来ると、情動の心だけで行動をしてしまいます。いわゆるキレれた状態、パニックの状態、すくみの状態などです。
 
子どもがしばしばその言葉と行動が矛盾するのはなぜ?」  目次へ戻る
 言葉そのものは習慣の心と思考の心の表現です。子どもでは思考の心の機能が弱いために、子どもの言葉は習慣の心の表現だけ、別の言い方をすれば、言葉はその時までの子どもの習慣の心に蓄えられた知識を表現しています。子どもが成長して、いろいろと考えられるようになると、情動が安定しているときにはその思考の結果を言葉で表現もできます。けれど一般的には、言葉は子どもの知識(学習した習慣の心の中の記憶)を表現していると考えて間違いが有りません。それに対して、子どもの表情や行動は習慣の心と情動の心の反応によっています。特に登校拒否、不登校の子どもの場合、情動反応からの行動が多いから、子どもの言葉と行動と矛盾する場合があります。

約束しても守れない子どもをどう考えたらよいのでしょうか?」  目次へ戻る
 どんなに小さな子どもでも、子どもの行動は全て子どもの心によって行われています。その時までに身につけた子どもの持っている知識で行動しています。その知識とは、親から遺伝で貰った物、母親から受け入れた物、経験の中から学習したものなどです。決して他人の意志が子どもに乗り移って行動をすることはありません。行動には意識的な行動と無意識的な行動がありますが、子どもの場合殆どが無意識的な行動だと言って構いません。約束は意識の心の機能ですから、約束したからと言って、子どもはいつもそれを守ることはできません。
 他人の心で子どもを行動させるためには、子どもに褒美か罰を与えなければなりません。母親については、子どもは母親の判断基準を取り入れていますから、母親の思いのように子どもが行動する場合が普通です。

子ども達は何を求めているんですか?」  目次へ戻る
 子ども達は親や社会から自分たちを否定されると、大変に辛い状態になり、思わぬ行動に走ってしまいます。辛い症状を出したりします。子ども達の成長、心の発達に、社会や誰かから必要とされていると感じなくても、子どもは十分に成長できています。それどころか、子どもによっては、自分が必要とされていると感じることで、それに答えられない自分を感じたときに、大変に苦しくなる場合があります。辛い立場にいる子ども達にとって、必要とされる、何かを要求されることは、子ども達の辛さを増強することになります。
 新生児から乳幼児にかけての子どもは母親を信頼しています。母親もそれが当然のことのように依存を許しています。ところが子どもが成長してくると、親はだんだん欲を出してきます。親が子どもにある目的を持って働きかけるようになります。その点が、人間とその他のほ乳類の動物達との違いです。この違いが人間を他のほ乳類達とは違った能力を持った存在にしています。また、いろいろな性格の人間を作ることにもなっています。しかし、場合によっては思わぬ性格の人間を作ってもいます。
 登校拒否、不登校、引きこもりの子ども達の観察、その他のいろいろな状態の子ども達の観察から、辛い状態にある子ども達への親からの働きかけは、かえって子ども達を苦しめ、逆効果であることがわかります(親の思いが子どもの思いと酷く異なっている)。働きかけが可能なのは、子どもの心が安定しているときです。子どもの心が安定していると、周りの人たちのことを考えられるし、自分の持っている知識から行動をすることができます。子ども達が求めている物は、自分たちなりの成長を認めて欲しいと言うことで、親を含めた大人達からの働きかけ(しつけや教育)を求めているのではありません。

なぜ男の子はしゃべらない?」  目次へ戻る
 多くの親は、男の子はしゃべらない、しゃべってくれないと言います。確かに一般的に男の子は女の子に比べて心の内をしゃべらないようです。けれど男の子でもとても良く心の内を親にしゃべってくれる男の子もいますし、親にはしゃべらなくても、友達には自分の心の内をしゃべります。親にしゃべらない男の子には、必要なこと以外をしゃべらない場合と、必要なことすらしゃべらない場合があります。親と子どもとの間に信頼関係がありますと、男の子でも必要最低限のことは話してくれます。その男の子を理解するのに十分なことだけは話してくれます。
 ところが何も話してくれない男の子がいます。そのような男の子でも、本当は母親だけには話したがっています。話して楽になりたいのです。けれど母親に話すことでかって責められて、辛くなるようでしたら心の内を話してくれません。心の内を話してくれないのは、親が話を聞く耳を持っていない場合です。それは女の子にも当てはまります。女の子でも、親が子どもの話を聞く耳を持たなければ、何も話してくれなくなります。

訴える子どもの方が対応法が見つかりやすいって本当ですか?」  目次へ戻る
 部屋の中でじっとしている子どもも親にとって辛いものですが、大金を使ったり、激しい言葉や暴力をふるう子どもの存在も、親にとって大変に辛いものです。親にとって明日がないような思いがします。あまりにも辛いために子どもを殺してしまいたいと思う時もあります。勿論それだけ親も辛いという意味で、本当に子どもを殺してしまうことは有りません。けれど別の見方をすれば、子どもはそれだけ辛いから、それだけ強く訴えているのであるとも言えます。それらの強い子どもの訴えが消失するような対応を選べば、この子どもを苦しめている問題の解決が成されることを意味しています。それに対して親を苦しめる訴えをしない子どもには、親が子どもへの対応の方法を見つけられません。何をしてよいのか親は全く解りません。病気だから治療しなければと親が思うようになります。

親の思いと違うことを子どもが言います。なぜですか?」  目次へ戻る
 親の思うことと違うことを言う子ども、違うことをする子どもがいます。親の方ではとんでもないことを言う子ども、とんでもないことをする子どもと解釈しがちですが、本当は違います。子どもは無意識に訴えています。これも子どもの訴えの一つの形です。親の思いが違うんだという子どもからの訴えです。子どものこれらの行動が消失するように親が対応すれば、それは子どもの心に沿った対応になります。
 この際に、親や大人は、親の思いと違うことを言う子ども、違うことをする子どもが問題だと考えて、子どもの思いや行動を親の思うように変えようとします。けれど子どもは精一杯親の思いに沿って生きようとして、精一杯子どもなりに努力して、どうにもできなくなって、親の思いと違うことを言ったり、したりしています。子どもの側から見ればもうこれ以上親の思いに沿って生きられないと言う意味で妥協の余地がありませんから、親の思いと違う事を言ったり、したりしています。親や大人が、親の思いに沿って子どもを動かそうとする事はできないことを意味しています。親や大人が変わる必要、考え方を変える必要があることを意味しています。

今の子どもには夢がないのはなぜ?」  目次へ戻る
 今の子どもには夢がないと言う大人がいます。確かに私たちが子どもだった頃持ったような立身出世の夢は少ないようです。私たちの子どもの頃の夢とは違っていても、子ども達はみなそれぞれに夢を持っています。私たちが子どもの頃と今では環境がだいぶ違います。私たちが子どもの頃では、かなりの子ども達が中卒、高卒で職業に付きました。遊びと言えば近所の友達と外で遊ぶことでした。思う存分遊べたように思います。食事も今から比べれば貧し物でした。つぎあての着物を着て(有ればまだ良い方でした)いました。私たちに取って、この貧しさから逃げ出すことが夢でした。その結果いわゆる偉い人、金持ちになる希望を持ったもって、それに向かって努力ができました。今から比べて貧しかったが故に、とてもハングリーだったと言えるでしょう。
 ところが現代の子どもには欲しいものが何でも手に入ります。いつもおいしいものを食べています。物質的には満ち足りています。そのような中でハングリーになれと言われてもその意味がわかりません。ハングリーになれないことは当然の成りゆきだとおもいます。このように物質的には満たされていても、子ども達は毎日心の中では辛い生活をしています。子どもの数が少なくなったこと、親が賢くなったことなどから、子どもにとても大きな要求がなされます。学校ではいろいろと強制されます。家に帰っても塾が待っています。ゆっくりと遊ぶ暇はありません。とても自分の将来を考える余裕はありません。今現在の自分を維持するのに精一杯です。夢を持てと言われても夢を描きようがない生活を子どもはしています。今の子どもに私たちの小さいときのような夢が無いのもやむを得ないことです。それは私たち年長者からみれば心の貧しさと見れてしまいます。物質的な豊かさの中で、子ども達があこがれる物は漫画、テレビ、ゲームなどの目先の心の癒しであることを、大人は否定的に見てはいけません。まず大人が、それほど子ども達は辛い状態にあるのだと認めることが大切だと思います。このことは全ての子ども達に当てはまるものではありません。しかし、かなり多くの日本の子ども達に当てはまると思います。

仮面を被るとは、良い子を演じるとは?」  目次へ戻る
仮面を被る良とい子を演じると同じ意味で使っています。子どもがいやな刺激を受けたとき、見かけ上辛さを示さないで、反射的に周囲の大人に受け入れられるように反応することです。見かけ上は、大人の求める理想に近い反応や行動をする子どもの反応の仕方です。時にはその反応が大人びていて、子どもらしさが無いように感じられます。
 仮面を被るには、過去に仮面を被るための知識を学習していなければなりませんから、子どもはかなり知的に高くなければなりません。本来良い子どもで、知的にも優れている子どもが、辛い状態になると、仮面を被るようになります。
 仮面を被ること自体は、子どもにとって辛いことでも、努力を要することでもありません。子どもは受けた刺激に反射的に習慣の心の中の知識から反応しているだけです。けれど同時に情動の心が反応して、辛い症状が体中に出ています。子どもはその辛い症状に耐えています(耐えられなくなったときに仮面を取っている)。子どもが仮面を被った状態は、大人の目から見たら、子どもが受け入れてくれて、大人の対応には問題がないと考えられやすいで状態ですから、大人はその子どものためと思って、結果的に子どもに見かけと違って、辛い思いをさせ続けることになります。大人からは、とてもそのようなことはあり得ないと思える状態の子どもが、その心の中で辛さを感じ、辛さに耐え続けています。

先生の前で子どもは良い子を演じると言うけれど」  目次へ戻る
 多くの子どもたちは、学校の先生の前で、その子どもなりに素直に反応しています。けれどある数の子ども達は、先生の前では仮面を被って、良い子を演じています。子ども達は親からも、先生からも良い子であることを求め続けられて育ってきています。そのために、子ども達は先生の求める形になろうと、習慣の心から無意識に反応します。ある数の子どもが、先生方から見た子どもの姿が、その子どもの本来の姿ではない場合があります。それらの子どもは、周囲からの関わりに素直に反応することなく、過去に学習した知識で周囲の大人に喜ばれるように反応しています。それらの子どもについて、子どもが自分の知識から振る舞っている姿を、その子どもの本当の姿だと判断しておられる先生方が多いようです。
 その良い子を演じている子どもが、その演技が子どもの本当の性格に移行(習慣として身に付く)すればそれは教育の成果ですし、また、多くの子どもがそれをしています。学校へ問題なく行ける子どもたちはそれをしています。けれど、良い子を演じられなくなったとき、いろいろな問題を生じる子どもとして気づかれることになります。辛くて仮面を被り続けることができなくなった子ども達です。
 
親の前でも子どもは良い子を演じますか?」  目次へ戻る
 本質的には先生と子どもとの関係と同じですが、親と子どもには生まれ落ちてからそのときまでの親子の信頼関係があります。親子の信頼関係が強ければ子どもはありのままの自分で成長できます。よい子を演じる必要がなくなります。信頼関係がないと子どもは親の前でも仮面を被る、よい子を演じなければなりません。


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