子どもの立場からの登校拒否、不登校、いじめ、引きこもりについてQ and A version 4
{2。 登校拒否、不登校、引きこもり }(3)学校との関係
「学校を休むと勉強についていけなくなるのでは?」 目次へ戻る
学校を休むと子どもが勉強についていけなくなり、子どもが可愛そうと考える親が多いです。登校拒否状態の子どもは学校にいても、勉強に身が入らなくて勉強をしていません。学校へ行っていても行っていなくても、勉強が遅れることは同じです。ところが勉強する気になった子どもは学校の勉強の遅れを短時間に取り戻します。子どもの勉強に関しては、子どもが勉強をする気にさせることが大切で、学校へ体を運ぶことではありません。登校拒否状態の子どもが学校へ行くとますます勉強への意欲をなくしてしまいます。勉強を拒否するようになります。それは子どもにとって大変に不幸なことです。
「学校を見ただけで、考えただけで子どもが辛そうになるのは?」 目次へ戻る
子どもが学校へ行き渋ってい時期には、子どもの性格がどことなく変化したと、親が感じる場合があります。登校拒否、不登校を起こした子どもには必ずこの時期があります。けれど多くの場合、この時期は見落とされています。この時期から、学校を見ただけで、学校にいるだけで、学校を考えただけで、子どもは辛くなっています。無意識に学校を回避しようとし出しています。しかし、親や先生や周囲の大人には、子どもが学校を見ただけで、考えただけで辛くなると言う事実を理解できません。理解できませんから辛くなる子どもがおかしいと感じます。子どもがおかしいから、あらゆる方法を用いておかしい子どもを治し、以前と同じように子どもを学校へ行かせようと考えます。けれど本当におかしいのは、子どもが学校を見ただけ、考えただけでおかしくなるのを理解できない親や先生、周囲の大人なのです。子どもは与えられた環境に素直に反応しているだけです。親や先生、周囲の大人は先入観に捕らわれて、子どもの本当の姿が見えないだけです。
「義務教育なのに、登校拒否、不登校をさせて良い?」 目次へ戻る
憲法には義務教育が述べられています。それは子どもが学校へ行ける環境を整える義務を述べているのであり、子どもが学校へ行く義務を述べてはいません。子どもは学校へ行く権利があるという意味であり、子どもは自分の意志で学校へ行かないこともできます。学校へ行かないとは、学校に代わる場所にも行く必要もありません。学校と同じ勉強をする必要も有りません。
登校拒否、不登校の子どもを持つ親にとって、子どもが学年を進級できない、学校を卒業できないのではないかと心配しています。学校に籍をおいている限り、その学年で一日も出席しなくても進級はできます。その学校に一日も登校しなくても卒業もできます。それは私立の小中学校についても同様です。ですから、学校が登校しないから、出席日数が足らないから、進級させないと言われたり、卒業させないと言われても、無視して構いません。もし本当に、学校が進級や卒業をさせなかったら、弁護士を立てて話し合えば必ず解決します。卒業の際に、卒業文集だ、卒業写真だと、登校を求めることが有ります。これも子どもが嫌だと言ったら、断っても良いです。卒業証書も代理人が貰いに行ったり、郵送して貰ってもかまいません。卒業後本人が貰いに来るようにと言われても、代理人で十分です。
「高校生の不登校に対する対応は小中学生と違いますか?」 目次へ戻る
高校生の場合、規定出席日数に足らないと留年、又は退学になります。この場合、子どもは言葉ではいろいろなことをいいます。親としては留年してでも学校にとどまって欲しい、退学しても、他の学校へ行って欲しいと思うものです。多くの子どもの本心では退学を希望しています。留年するぐらいなら、不登校をしません。他の学校への再入学も希望しません。もし他の学校へ再入学しても、又不登校になります。それだけ無駄な対処をして、子どもを苦しめ、親への不信感を強めます。
不登校をしていても、すこし余裕のある子どもは規定欠席日数に近づくと、学校へ行くようになります。この場合も、子どもが本心で学校へ行きたいと願って行くのではありません。親の気持ちを感じ取って、無理してなら行けるから学校へ行くのであり、勉強以外に大きなエネルギーを使わなければならないので、勉強はできません。体だけ学校へ運んでいるというような意味合いでしか有りません。ちょっとした嫌なことで大きく心が傷つくこともあります。
「学校生活が楽しくなるような試みが行われていますが?」 目次へ戻る
それは子ども達にとっては大変にありがたいことです。どんどん広がっていって欲しいものです。その際に大切なことは先生が考えて楽しいと言うことではなくて、子どもが楽しい必要が有ります。子どもが楽しんでいるものの中から学校生活が楽しくなるようなものが取り入れられる必要があります。
もう一つ大切なことはある子ども達にとっては楽しいことが、別の子ども達には楽しくない場合が有ります。その時楽しめない子ども達をどうやって楽しめるようにして上げるかも大切なことです。
「校則と退学について説明して下さい。」 目次へ戻る
子どもは校則を守ろうとします。しかし、実際は校則を破る子どもがいます。それは校則自体に問題があって、子どもが校則を破るつもりは無いのに、うっかり校則を破ってしまう場合。校則自体が子どもを苦しめて、又は校則以外の何かで子どもが苦しんでいて、その苦しみからの回避行動で校則を破る場合が有ります。大人のように子ども自身が悪人で、悪の気持ちから校則を破ることはありません。子どもが校則を破ったときには、校則に問題があるか、又は子どもが校則を含めて何かに苦しめられていると考えなければなりません。
学校へ行き渋っている子どもは本心では学校へ行きたくありません。外からの力で学校へ行かされています。そこで外からの力で学校へ行かなくても良い方法を無意識に取る場合が有ります。それが髪の毛を染めるとか、ピアスをするとか、授業を妨害するとかという校則破りを行います。するといくら親がその子どもを学校へ押しだそうとしても、学校側がその子どもを拒否することになり、親はその子どもの不登校を認めざるを得なくなります。
「子どもに関わろうとする学校にはどうすればよい?」 目次へ戻る
登校拒否や不登校の子どもに、学校は登校させるためのあらゆる事を行います。それは子どもが学校へ来ることは当たり前のことであり、登校拒否や不登校をする子どもには問題があると考えています。子どもを学校へ来させて問題を解決しようとします。登校拒否や不登校の子どもに何の対応も行わないことは学校の怠慢だと考えてもいるようです。その為に教師が家庭訪問をします。プリントなどの出版物を届けます。同級生を迎えに行かせます。多くの親も学校が、登校拒否、不登校の子どもに、学校へ来させるような、いろいろな対応を取ってくれることを、教育熱心だと言って喜んでいます。しかし、子どもは学校との関係を拒否しています。子どもの立場からい言うなら、それは子どもの心を無視した、とてつもなく迷惑な話です。
登校拒否、不登校の子どもを学校へ行かせたいと思う親にとって、学校が子どもに関わってこないことは大変な不満です。けれど登校拒否、不登校の子どもにとってこの様な学校側の態度はとてもありがたいです。親も学校が、学校に関する物がどんなに子どもを苦しめるかが理解できたときには、子どもに関わってこない学校が、関わってくる学校よりもありがたくなります。
「登校拒否、不登校の子どもと友達、先生の関係は?」 目次へ戻る
登校拒否、不登校の子どもにとって、友達は学校を連想する物ですから、多くの登校拒否、不登校の子どもは友達に会うことを嫌がります。それは学校を拒否するのと同じ理由です。ところが子どもの中には心の傷が浅くて、何もしていない時間を過ごすのに困っている子どもがいます。それらの子どもにとっては友達は自分の心の傷の癒しの要素も持っています。その癒しの要素が、学校を拒否する要素よりも強い場合、子どもは友達を求めて遊びます。
先生の場合、登校拒否、不登校の子どもにとっては癒しの要素はありません。特に担任には癒しの要素は全くありません。有るようだと子どもは登校拒否や不登校をしませんから。先生の訪問は子どもを学校へ連れていったと同じ効果があります。親として子どもを守るために、先生の訪問は断るべきです。
「学校が嫌でも、無理に行かせて慣れさせればよい?」 目次へ戻る
一般的に、動物に与えられた刺激は、その刺激が繰り返し与えられると、慣れを生じて、その刺激に動物は反応をしなくなります。ところが全ての動物について、恐怖刺激については慣れは有りません。恐怖刺激を繰り返すと慣れを生じないばかりか、かえって刺激に対して反応性を増強していきます。最初に刺激を受けたときより、刺激が繰り返された後の方の刺激で激しく反応して恐怖を示します。それは人間にも当てはまります。子どもに恐怖や嫌な刺激を繰り返し与えると、子どもはだんだん強く反応して回避行動を取るようになります。子どもには嫌なことには慣れがない事実をふまえて、嫌な刺激は繰り返し与えないようにしなければなりません。嫌な学校へ無理矢理に連れて行くことで、学校へ慣れさせようと言う考え方は間違いです。意思の強い大人では話は別です。
「集団生活での経験から、問題を子ども自身で解決して欲しい」 目次へ戻る
登校拒否、不登校、引きこもりの子どもを持つ親が、子どもが学校や社会へ戻れないのは、子どもの人付き合いが下手だからだと考える場合が有ります。その人付き合いを練習するような場所へ、親は子どもを連れていこうとします。
ところが子どもが元気だった頃は、上手に人付き合いをしていた子どもが多いです。急に人付き合いが下手になったわけではありません。何か辛いことを経験して、その結果、登校拒否、不登校、引きこもりの状態になるとともに、人付き合いをしようという意欲も失っています。人付き合いが嫌な状態になっています。その状態で無理矢理に人付き合いを練習させようとしても、それはストレス刺激になるだけです。子どもをかえって辛くしてしまいます。そのようなことをしなくても、子どもが元気になったら、意欲が出てきたら、子どもはその子どもなりに上手に人付き合いをするようになります。
「五月雨登校でも子どもに学校へ行って欲しいのですが」 目次へ戻る
登校拒否を起こしている子どもが学校へ行ったり休んだりを繰り返している状態を言います。五月雨登校でも子どもは登校拒否をしているのですから、本心では学校を拒否しています。五月雨登校には二つの場合があります。その一つは、子どもが親から無理矢理に行かされている場合です。五月雨登校の多くはこの形です。実際には、子どもは言葉で「学校へ行きたい」と言っている場合が多いです。親はその言葉をそのまま真に受けて、「子どもは学校へ行きたがっているから、学校へ行けないのは可愛そうだ」と考えます。学校へ子どもを行かせる対応を取ります。それが子どもの本心に沿った対応だと考えます。子どもは学校へ行かざるを得なくなっています。もう一つは、子どもが学校内の行事や授業で、興味のある物だけ行く場合です。この場合は親が何もしなくても、自分から「学校へ行って来ます」と言って、学校へ行きます。
五月雨登校をしている子どもは、同級生の中で、学校へは行きたくないのに、無理矢理に学校へ行かされている子ども達からのいじめのターゲットになり易いことに注意する必要があります。
「別室登校でも学校へ行って欲しいのですが」 目次へ戻る
登校拒否とは情動の心が学校及び学校に関する物に対して拒否反応を起こしている状態です。その拒否反応を起こす度合いは、学校及び学校に関する物により異なります。学校内の保健室、校長室、図書室などの別室(教室以外)が子どもに拒否反応を強く出させる物なら、子どもは別室にすら拒否して行きません。ところが別室が子どもに拒否反応を起こす度合いが小さくて、その他の強い刺激、親の希望が拒否反応を押さえて、別室に登校可能な場合もあります。
「本人の希望を尊重して別室登校を応援する」と言う大人がいます。このとき、子どもは自分の意志で別室に行くことを希望したわけではありません。子どもの情動の心は学校内の別室を拒否していることには変わり有りません。また、意識の心も、親や先生が子どもに何の対応もとらなければ、子どもから自分からその別室へ行こうと判断しません。親や先生の希望を意識して、言葉で別室へ行くことを表現しただけです。親や先生の圧力があるから、やむを得ず別室へ登校しているだけであり、決して本人の希望ではありません。親や先生が本人の希望と言う形で子どもに一生懸命になればなるほど、それは子どもを別室へ行かせる刺激と圧力になっています。
学校内の別室に子どもの心を癒す人がいる、物が有れば別ですが、ほとんどの場合、子どもは別室で情動の心の拒否反応に苦しんでいます。意識の心ではなぜ自分が苦しいのかわかりません。その結果、子どもは心の傷をどんどん広げていっています。
「クラスで学校へ行き渋る子どもがいます。」 目次へ戻る
登校拒否を起こした子どもの内、内向的な子どもはクラス内で孤立し易いです。嫌なことにも敏感になっていますから、他の子どもが叱られても自分が叱られているように感じてしまいます。嫌なことに耐えるために、模範的な良い子を演じます。一般的にはそれで疲れて学校へ行けなくなると解釈されています。無理して耐えて学校へ行っている間に心の傷を大きくして、不登校になっています。親や先生からは子どもの心を傷つけるようなことは無かったと思うようですが、登校拒否を起こしても学校へ行かされている子どもは、嫌なことに敏感になっています。些細なことで大きな心の傷を受けてしまいます。
外向的な子どもは、神経症状や精神症状を出すことが少ないので、子どもが学校へ行き渋ったりする割合が少ないです。先生や親は子どもの登校拒否に気づきにくいです。そのような子どもは遊びの形で弱い立場の子どもをいじめたり、人目に付きにくいところでいたずらをしたり、万引きなどの非行を行っている場合もあります。
「登校拒否の子どもが学校へ行きたいと言うのは?」 目次へ戻る
不登校の子どもが学校へ行きたいと言ったとき、それは子どもの知識として学校へ行きたいと言っただけで、又は、親の気持ちを感じ取って、親に向かって言っただけで、それは子どもが学校へ行きたがっているのではありません。不登校の子どもは感じる心で登校を拒否しています。登校刺激をすると、いろいろな生命に関連した症状が出てきます。登校拒否、不登校の子どもは、その本心で学校を拒否しています。行きたがっていません。
子どもの言葉をそのまま子どもの本心だと理解すると、とんでもない間違いになります。また、多くの大人が間違い続けてきたことです。子どもは大人とは違う。子どもの言葉はあくまでも知識であり、大人になればその言葉通りに行動できますが、子どもの内は感じる心で行動することが大半です。全てですと行って良いほどです。そのことはまた、登校拒否、不登校を経験した子どもが大人になったとき、自分の登校拒否、不登校の事を忘れてしまっている事にも関係しています。
「学校の催しだけは参加する子どもは?」 目次へ戻る
小学生の場合には、まれに中学生でも、心の傷が浅いために林間学校や遠足、運動会だけには参加できる子どもがいます。この場合、林間学校や遠足、運動会の魅力の方が、学校や先生、友達を回避する力よりも強いためです。子どもの意志で参加するのは問題がありません。親が行くなと言っても参加するようでしたら、参加しても構いません。
「転校させたら登校拒否、不登校は解決しますか?」 目次へ戻る
不登校の子どもが、学校をかわれば学校へ行くと言う場合が有ります。すると親は転校をさせようと対応します。しかし、実際に転校をしてみると、子どもはやはり学校へ行かない場合が大半です。すると親は子どもに不信を抱き、子どもを責めてしまいます。
子どもが転校をしたいと言ったなら、それは子どもが今の学校へは行けないと言う意味であり、転校することで次の学校へ行くつもりであると言う意味です。必ず行くかどうかは別問題です。転校先の学校で子どもが受け入れられるなら、子どもは転校先の学校へ通えます。けれど多くの場合、子どもは学校に対して回避行動を取るようになっています。学校にいるだけで不安になります。その結果どのような学校でも通学できない場合が多いです。
「新学年になったら学校へ行くと言っています。」 目次へ戻る
新学期になったら学校へ行く、新学年になったら学校へ行く、進学したら学校へ行く、これらの子どもの言葉は、現在の状態では学校へ行かないと言う意味になります。新学期になったら、新学年になったら、進学したら学校へ行きたいという、子どもの希望を述べただけで、必ず学校へ行くと言っているのではありません。不登校になった子どもは学校に対して回避行動を取るようになっています。その結果どのような状態になっても、学校に回避行動を取らざるを得なくなっています。通学できない場合が多いです。
「校長が卒業させないと言っています。」 目次へ戻る
子どもが不登校状態になったとき、親が心配するものの一つに、子どもが学校を卒業できるかどうかの問題です。学校も子どもが卒業できるための条件を提示して、子どもを学校へ来させようとします。それで親は無理をしてでも子どもを学校へ行かせようとします。今までの実績では、学校に一日も行かない子どもが小学校や中学校を卒業しています。義務教育期間では、子どもが学校に属している限り、全く学校に登校しなくても卒業できます。
「卒業アルバム、卒業記念文集はどうしたらよいでしょうか?」 目次へ戻る
不登校の子どもの中には、学校に自分の足跡を残すことを嫌がる子どもがいます。親や先生は「せめて卒業アルバムだけでも」とか「せめて卒業文集だけでも」と考えますが、子どもにとっては少しでも学校と自分との関係が有ると辛くなります。それ故に基本的には、不登校の子どもは卒業アルバムや卒業記念文集を嫌がりますから、載せることを断るべきです。勿論全ての子どもが卒業アルバムや卒業記念文集を嫌がるわけではありません。子どもの反応を見ながらその対応を決めればよいだけです。
「卒業式だけは出なさいと言われていますが」 目次へ戻る
学校側はせめて卒業式だけでもと考えがちです。子どもの中にも卒業式だけは参加する子どももいます。けれど基本的には、不登校の子どもは卒業式にも出たがらないと思って対応を考えるべきです。子どもには秘密で親が卒業証書を貰われるのが良いです。
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