子どもの立場からの登校拒否、不登校、いじめ、引きこもりについてQ and A version 4

{2。 登校拒否、不登校、引きこもり }(5)親や周囲の関わりについて

登校拒否、不登校の子ども、親、教師の問題点はどう考える?」  目次へ戻る
 子どもは与えられた環境に順応しようとして、精一杯生きています。それ故に、登校拒否、不登校、引きこもりに関して、子どもには全く落ち度がありません。子どもは全て被害者です。親を含めた大人が子どもを傷つけないように育てなければならないし、傷ついた子どもを守る必要があいます。
 親は子どもの幸せのために一生懸命育てていし、子どもの心を傷つけたのではないから、子どもが登校拒否を起こしたことに関しては全く落ち度がありません。けれど心が傷ついた子どもに気がつかないで、子どもの心を癒さないで、子どもを危険な学校へ押しだし、子どもの心の傷を深くすることに加担したことには責任があります。しかし、その問題点に気づいて、親がその対応を改めたなら、そのうちに子どもは親を許してくれます。
 登校拒否、不登校に関して、教師には一番の責任があります。教師も一生懸命子ども達のことを考えて教育をしています。しかし、いくら一生懸命でも、子どもの心を理解しない限り、一生懸命がかって子どもを苦しめてしまいます。教師の場合一生懸命という言葉では許されないのです。心を傷つけられた子どもが許さないからです。子どもの心に傷を付けたのは教師であり、同級生などです。同級生や上級生が子どもの心を傷つけたのだから教師に責任がないと言うことはできません。それは子どもの心を傷つけた同級生や上級生は教師により心を傷つけられて、他の子どもの心を傷つける行動に出ているからです。
 既に子どもの性格がゆがんでいてその結果子どもの心が傷ついたと、教師が言う場合があります。それを言うことは教師に許されません。生徒が自分に合わないからと言って、その子どもを傷つけて良いことにはなりません。教師は生徒の性格がゆがんでいても、ゆがんでいるなりに子どもを育てる義務が有ります。どんなことがあっても、教師は子どもの心を傷つけてはなりません。

明るい登校拒否とはなんですか?」  目次へ戻る
 明るい登校拒否とは、親が子どもの不登校を認めて、子どもに学校へ行かない成長を認めた場合を言います。この場合、母と子どもの間に思いの違いがありません。家庭内には子どもを苦しめる物がないので、子どもはのびのびと生活をします。子どもが完全に学校から吹っ切れているなら、子どもは子どもなりに何かを求めて自由に外出します。子どもが学校へ行かないこと以外は全く普通の子どもと同じように生活をします。フリースクールや家庭学習を始める子どももいます。
 明るい登校拒否を認めるまで、親は不安に悩まされ、子どもへの対応に迷い続けます。子どもの将来を案じ続けています。親が子どもの不登校についての悩みが吹っ切れたとき、親は初めて子どもが学校へ行かない成長を認められます。それに伴って子どもは元気になり、生き生きと生活をするようになります。ただ、明るい登校拒否になるには、行き渋りの期間が短い場合の、不登校の初期の場合でしか難しいようです。

登校刺激がいけない理由は何でしょうか?」  目次へ戻る
 登校拒否、不登校の子どもにとって、学校へ行かそうという対応や、学校へ行かそうとしなくても、子どもが学校を意識するような物を与えることを登校刺激と言います。この様な登校刺激に対して登校拒否、不登校の子どもは程度の差はあっても反応して、回避行動を取ります。心の傷を疼かせ、悪化させます。同級生ばかりでなく、子どもと関係ない児童、生徒を見るのも登校刺激になります。学校についての話や、同級生からの手紙や印刷物など、学校から渡された物も強い登校刺激になります。親しい友達は登校刺激の要素が少ないです。

祖父母と登校拒否、不登校、引きこもりの子どもとの関係は?」  目次へ戻る
 祖父母が孫の登校拒否、不登校、引きこもりを心配するのは当然だと思います。自分の孫を心配してと言う、親切からの、身内の将来を案じての行動です。それが良いか悪いかは、その各々の家庭のの問題です。ここでは一般論として述べてみたいと思います。
 登校拒否、不登校、引きこもりの子どもを持つ親にとって、毎日が辛い場合が多いです。辛い毎日を過ごしているときに、自分たちの親から支えられると、子どもの両親は大変に楽になります。しかし多くの祖父母は登校拒否、不登校、引きこもりを理解できません。理解できないで、子どもの夫婦の子育てに口を挟んできます。責める場合もあります。そのような場合、子どもの両親は大変に辛くなります。子どもも辛くなることが多いです。
 祖父母が登校拒否、不登校、引きこもりを理解している場合は殆どありません。年齢的にも理解する能力を持ち合わせていたに場合が有ります。もし祖父母が登校拒否、不登校、引きこもりを理解していたら、子どもの子育てに介入してくることは無いと思います。その為に両親は祖父母の介入をはっきりと断るべきです。子どもの子育ての責任は自分たちにあるとはっきりと言われると良いです。それで祖父母が傷つくことは有りません。かえって不必要な心配をしないことで、祖父母のためにもなります。祖父母と同居している場合には別居をおすすめします。ただ、経済的に別居ができない場合があります。それでも祖父母の生活空間と子どもの生活空間を分けられたら、分けた方がよいです。
 祖父母に求められる役割は、子どもに心のオアシスを提供することです。殆どの祖父母は孫が可愛いものです。可愛いからどうにかしようとして子育てに介入してしまうのです。しかし、両親がいる限り祖父母は子育てができません。できないなら、孫のために、辛いときには逃げてこれるオアシスとなってあげるのが一番良いです。それは子どもを、その両親をも支えることになります。

乱れた生活習慣を正して手伝いをさせた方がよい?」  目次へ戻る
 登校拒否、不登校、引きこもりの子どもに、親はせめて朝起きてきて欲しい、せめてみんなと一緒に食事をして欲しい、せめて手伝いだけはして欲しい、などと、ただ一つだけでも良いから規律正しい生活習慣をして欲しい物です。それぐらいしないと完全に怠け者になって手の着けられない子どもになってしまうのではないかと心配しています。子どもは意欲を失っています。自分から積極的に行動できません。その状態にいろいろな要求をされてもそれに答えられません。答えられるようでしたら、自分からそれをします。子どもは親の思いを感じ取って行動しますが、登校拒否、不登校、引きこもりの子どもにはそれができません。自分から意欲を持って何かをし始めるには、その子どもなりの束縛されない生活を経験しないと、元気が出てきません。

子どもが元気になってきたが、何をするにもルーズで困る。」  目次へ戻る
 登校拒否、不登校、引きこもりのような辛い状態にあることもたちは、いろいろなことに、些細なことにこだわります。元気になるとそのこだわりがとれてきます。こだわりがとれてきたら、元気になってきた、意欲が出てきたと考えて間違い有りません。今までこだわってきたものに、「まあ、いいっか」と言って妥協するようになります。やること全てに、やりっぱなし、中途半端です。それは親にはとても辛いことですが、今まで苦しみ続けていたことを考えて、許して上げて下さい。子どもがもっと元気になり、何かを求めて社会へ出ていったときには、自分で直しますし、親の注意も受け入れられるようになります。

あるがままのこどもの姿を認めた方がよいのはなぜ?」  目次へ戻る
 子どものする事には全て子どもなりの意味があります。子どものする事に大人が問題意識を感じるのは、大人が子どもを信頼していないからです。大人が子どもを信頼しておれば子ども有るがままは信頼して良いはずです。つまり子どものあるがままを認めることは子どもを信頼することを意味しています。

もっと子どもに父親は関わって欲しいのですが?」  目次へ戻る
 子どもは母親に支えられて成長することを述べてきました。父親には、子どもが社会と関わり合うときには、父親に支えを求めます。登校拒否、不登校、引きこもりの子ども達は自分を守るために社会から逃げてきています。そのために母親の支えはとても重要ですが、父親には何も求めません。父親の存在は殆ど意味が有りません。父親は子どものことで苦しむ母親を支える存在でなければなりません。子どもの登校拒否、不登校、引きこもりの責任を母親の子育てのせいにして、父親が母親を責めるのはもってのほかです。

子どもが友達を作って欲しい、、集団に入って欲しいのですが?」  目次へ戻る
 子どもが不登校になっていたり、引きこもっているとき、子どもに友達ができると、子どもは学校へ、社会への戻れるように思います。友達を手がかりに、元気になって欲しいと思うのです。ところが不登校や引きこもりの子ども達は、友達と上手に付き合うエネルギーを持ち合わせていません。友達をあてがわれても、かえって辛くなります。多くの不登校、引きこもりの子ども達は、母親以外の人を求めません。母親に支えられて元気になれば、エネルギーが貯まれば、子どもは友達を受け入れられますし、外へ出て友達を自分で作ります。
 学校へ行き渋っている子どもが、同級生達と遊べる場合と遊べない場合が有ります。学校へ行き渋っている子どもでは、原則として友達は登校刺激です。子どもを辛くします。ところが友達の内でも、行き渋っている子どもを受け入れられる子どもがいます。または、受け入れられないでも、触れないでおいてくれる友達がいます。この様な友達は、遊ぶという子どもにとっての喜びを与えてくれます。この遊ぶという喜びと、登校刺激という辛い要素とのバランスで、子どもは友達と遊べたり、遊べなかったりします。

兄弟姉妹の仲が子どもに悪い影響を与えています。」  目次へ戻る
 兄弟姉妹の中で登校拒否、不登校の子どもが出ると、それ以下の弟や妹が登校拒否、不登校になりやすい傾向が有ります。その場合、同じ学校へ通学している場合が多いです。兄弟姉妹間としては子どもの間に性格の違いはあると感じられても、他人から比べれば多くの共通した性格になっています。上の子どもが登校拒否、不登校を起こした要因は、多くの場合学校内に残っています。その結果、下の子どもも同一の要因で登校拒否、不登校を起こしてしまいます。上の子どもで不登校を認められたら、下の子どもでも不登校を認められやすいです。けれど、それ自体は子どもが登校拒否を起こすことと関係が有りません。
 登校拒否、不登校の子どもがいる家庭では、兄弟姉妹間で批判をし合って、一見仲が悪そうです。殴り合いの喧嘩をする場合もあります。ところがそれ以外の時は、互いに批判をしあいながら、適当な距離を保って、互いにぶつかることをしません。家庭外からの問題では力を出し合って自分たちを守ろうとします。親がいない所では互いに仲良くゲームなどをして楽しんでいる場合もあります。その姿は登校拒否、不登校の子どものいない家庭の兄弟関係と同じです。

兄弟の中で登校している子ども、不登校の子どもがいる場合」  目次へ戻る
 兄弟姉妹の中で、不登校になっている子どもと登校している子どもは喧嘩をしやすです。親もそれぞれの子どもにどう対応して良いか解らない場合が多いです。子ども同士が互いにけなし合うの理由は、不登校の子どもは登校している子どもに登校刺激を感じるし、登校している子どもは不登校している子どもを許せないのです。登校している子どもの我慢して学校へ行っている子どももいます。そのような子どもにとって、自分の行きたくない学校を休めているから羨ましいのです。
 けれど親のいない場所では、そのような兄弟姉妹でも問題を起こしません。お互いに適当に距離を置いて生活をします。自分たちで興味が有る物には、互いに仲良くそれをします。親は自分の子供達をなるように任せていればよいです。
 一番難しいのは親の子ども達への対応です。どうしても不登校の子どもと登校している子どもとの間に差を付けてしまいます。登校している子どもを休ませないようにしがちです。それは不登校の子どもも、登校している子どもも苦しめます。登校している子どもにいつでも不登校になっても良いような対応をしていると、つまり不登校の子どもにも登校している子どもと同じ対応をしておくと、登校している子どもは安心して登校を続けます。不登校になりにくいです。

友達を作ってあげるには?」  目次へ戻る
 不登校の子どもが友達を欲しがる場合があります。けれど実際に友達と遊べる場合、遊べてもその後状態が悪くなる場合、全く遊べない場合もあります。また、遊べる場合でも、そのうちに遊べなくなる場合が多いようです。友達と遊べなくても、母親が子どもの友達の代わりができます。母親の立場を忘れて子どもと無心に遊べるなら、それは子どもの心を癒す作用があります。
 母親が子どもと遊べるなら、母親のつき合いの中に子どもを連れ出すことも大きな意味があります。子ども同士で友達ができなくても、大人と友達になるのでも十分に子どもは自分の心を癒せるし、社会性も獲得できます。友達とは同年代の子どもでなくて良いです。自分の意志で他人と交わることが子どもの心の成長を助けます。

目次へ戻る