教師と登校拒否、不登校について

 自分の担任する、又は、担当の子供達が、全員元気で教室で勉強して、良い成績を取って欲しいと思うのは、教師として当然のことです。そして良い成績の子供がいることを教師としての誇りに感じるのも自然のことです。ところが現代では、担当したクラスで既に登校拒否、不登校の子供がいたり、担当のクラスの中から登校拒否や不登校の子供が出てきます。これらの子供達の問題を解決して、子供達を教室に呼び戻して、全員そろって授業をしたいと思う、しようとするのは、教師として自然な発想だと思います。しかしそれはあくまでも教師としての立場であり、登校拒否、不登校を起こしている子供の立場を考慮していない考え方だと言えます。勿論多くの子供について、今までのような子供を思う教師の考え方で実際上問題はないのですが、登校拒否や不登校など、心に傷を受けている子供への思いとしては、それらの子供の立場を考慮していなく事になり、大きな問題点を生じるという意味です。今までと違って、登校拒否、不登校をしている子供達のように、辛い立場にいる子供達への対応を、な今までとは異なった、新しい、科学的な考え方で、考える必要が出てきたのです。

 登校拒否、不登校の子供の問題点を解決して、子供を学校に来させるのが、何で教師としての立場であり、子供の立場を考慮していないかと思われるかも知れません。その理由は、子供に問題点があって、その結果登校拒否、不登校になっていると、教師が考えていることが、子供の立場を無視していると言う意味です。本当に子供だけの問題点だけで子供が学校に行かないのなら、子供の問題点を解決して、子供を学校へ来させようとする教師の対応は間違っていません。しかし、ほとんどの場合、子供に問題点が有るから子供が学校に行かないのではなくて、何か学校に問題点がある結果、その為に子供に問題点を生じて、子供が学校に行かなくなっていることに教師が気づいていないからです。また、何か学校に問題が有るという事実にも、教師が気づいていないという問題点も有ります。子供の問題点を解決しようとしても、学校内の問題点が解決しない限り、子供の問題点は解決しないばかりか、解決できない問題点を無理矢理に解決しようとする教師の対応が、かえって子供を苦しめる問題点となってしまい、事態をさらに悪くする可能性を秘めています。登校拒否、不登校の問題を難しくしてしまいます。

 ここで登校拒否と不登校の時間的経過を示しておきます。子供は元来、元気が良く素直で協力的で、何かを求めて成長しています。ところが主として学校内で辛い経験を繰り返すことで、子供は性格の変化を生じてきます。その結果、恐怖を感じやすくなったり、いじめを受けやすくなったりします。その状態で辛い経験を繰り返すと、辛くする相手に対して回避行動、学校内で辛い経験をすると学校を回避するようになります。学校へ行き渋るようになります。この状態が登校拒否の始まりです。それでも学校で辛い経験を続けると、腹痛、頭痛、吐き気など、自律神経の症状を出してきます。そして、ついには学校へ行けなくなります。この学校へ行けなくなった状態が不登校の状態です。つまり不登校とは、登校拒否の内で学校に行けなくなった状態を言うことになります。精神症状は子供によって異なりますが、自律神経症状に遅れて、いろいろな形で出てきます。

 登校拒否、不登校に関して、教師といっても小学校、中学校、高等学校の教師について、その考え方が異なります。それは対応しなくてはならない子供達の状態が年齢によりかなり異なるからです。

 小学校の場合、学校の問題点の多くは担任の教師の学級運営です。教師がその学級運営を変えれば、意外と簡単に登校拒否、不登校の問題の解決を見ることがあります。教師が教師の思いで学級運営をするのでなく、個々の子供の欲求に合わせた学級運営をすればこの様な問題は起き難くなります。問題のある子供についても、その子供の欲求に合わせた部分を取り入れた学級運営を考えれば、その子供はそれ以上傷つかないで学校生活を送れます。小学校の低、中学年では知的な勉強の割合が少ないので、この様な対応は可能だと思います。小学校の高学年では、学力や体力に差が生じてきます。その結果それらに基づく問題点が生じてきます。それらを担任の教師がいかに解決するかが大切です。子供にとって魅力的な学級運営をすれば、これらの差による問題点は解決すると考えられますし、実際に実践し成功した例も経験しています。ただし、今まで教師の間で行われている魅力或学級運営の例の大半はクラスの大多数に標準を合わせた物であり、以前よりは増えてきた、既に問題のある子供、問題を抱え込みそうな子供に対する配慮はされていません。その結果、これらの既に問題のある子供、問題を抱え込みそうな子供が無視されて、クラス内の問題を知らない内に大きくしているようです。

 中学生になっても基本的には、生徒に対する教師の対応は同じです。生徒は、体力や腕力は大人なみであるのに、心は子供という状態になり、小学校とは違った対応を加える必要が有ります。生徒の方でも既に大きな心の傷を持っている子供もいる一方で、勉学やスポーツに優秀な子供もおり、多くの生徒を一人の教師でまとめていくことがますます難しくなります。教師と生徒の関係も薄くなっていき、どうしても教師の腕力で子供を押さえる形を取ることが多くなります。それはますます子供の問題点を大きくしていきます。

 教師は子供の能力を伸ばす必要が有ります。子供の能力を伸ばすスキルが叫ばれています。多くの子供はそれにより能力を伸ばしていることも事実です。しかし、一方で、子供に良かれとしてすることで、一部の子供は傷ついています。その一部の子供についていうなら、子供を傷つけるぐらいなら、それをしない方がよい事は理解できると思います。全く逆なことが同時に起きています。その事を教師は絶えず頭に入れて子供への対応を行う必要があります。傷ついた子供を見つけたなら、その子供に問題があると解釈せずに、傷ついた子供を、傷が浅い内にいかに癒すかを考える必要があります。このことに関する研究を教師はもっとすべきです。心の傷が深くなったら、教師に子供の心の傷を癒すことが原則としてそれはできないからです。それは親の機能にゆだねなければなりません。親の大変難しい対応を必要とします。

 これらのことを理解するには、今までの児童心理学などの、教師の方が学ばれてきた物では不十分なようです。これからの話は私が脳科学から展開してきた事ですので、一般的には認められていません。

 子供と向かい合うとき、子供は大人を小さくした物、単に大人の未熟な物とは考えてはならないようです。子供とは大人とは違う心の仕組みを持っており、それが大人の心になるのは思春期以後と考えた方が間違いがありません。子供とは動物の子供と非常に共通点が有ります。教師は動物の子供の飼い主の役割に近いようです。ただ違うのは、子供は人間の形をしていて、言葉を話します。知識を取り入れます。しかしその言葉も大人と同じように解釈しません。単にその場にあった表現を経験的に発しているだけのようです。それ故に、子供の発する言葉が子供の心を反映していると考えると、大きな間違いになります。この点が子供に対応するときの、大人と違う注意点の重要な要素です。

 子供には知識も実際の生活に用いることは原則としてできないと考えた方が良いようです。得た知識で意識的に行動できるのは思春期を過ぎてからのようです。子供は知識を持っていても、その場その場で、その時受けた刺激に、その時までに経験した事を繰り返しているだけ、行動を繰り返しているだけのようです。つまり、子供は潜在意識下で反射的に行動することが大半であるという意味です。それだから、親が、教師が、躾のような子供に無理矢理にある行動をさせるためには、恐怖で条件づける必要があります。それが子供を大変辛くして、子供に問題行動を起こさせる原因になっています。

 心の傷とは恐怖で条件づけられた反応です。つまり恐怖を受けたとき(恐怖を生じる無条件刺激)、その時周囲にあった物で恐怖を生じる(無関刺激が条件刺激内なった、即ち感作された)ようになったことです。恐怖を生じている対象が、恐怖の条件刺激であり、心の傷を疼かせる物であると言えます。その例として登校拒否、不登校があげられます。前述しましたように、子供は意識的に、思考を巡らせて行動することはほとんどありません。登校拒否、不登校をする子供は、決して学校を怠けてやろうとか、勉強が面白くないから休んでやろうとか、考えて行動しているわけではありません。学校や、先生、友達、学校関連の物を見ただけ、想像しただけで恐怖を生じています。それ故に恐怖を生じる学校や先生、友達、学校関連の物を潜在意識下で拒否しています。登校拒否の場合、子供の恐怖を生じる条件刺激はこの様にある程度見当がつきます。しかし多くの心の傷の場合、子供が恐怖の条件刺激として反応する物が、解らないことが多いのです。それ故に原因が分からないから、その子供がおかしい、病気だという事になってしまいます。それは間違いです。子供は恐怖を感じる物が有るから、潜在意識下で恐怖から逃げ出そうとします。逃げ出せないときにはいろいろな神経や精神症状を出して苦しんでいるのです。これらの心の動きは意識に登ることが無いことにも注目する必要があります。

 子供の問題を考えるとき、子供の言葉は知識を表しており、子供の行動や表情は心の中身を表現していると考えると間違いが無いようです。子供には知識で行動をすることはほとんどできない。その時加わった刺激に、その時までに経験した行動を繰り返しているだけだと言いました。それ故に、子供の言った言葉は、子供がその行動をすると言うことを示していません。教師は子供の言葉は子供の知識として、子供の表情や行動が、子供の潜在意識にある心を表していると理解するように、心がけなければなりません。子供は大人と違って、理性的な行動は原則としてできない物であることを心に留めておく必要が有ります。

 これらを参考にして、登校拒否、不登校の生徒を持つ教師の対応を考えてみます。小学校の教師では、教師が子供の問題点が自分にあることが理解できて、自分の学級運営を変えることができる、それを生徒に示すことが出来る教師は、登校刺激をして、生徒を学校に来させる意味はあります。そうでないなら、生徒を学校に来させようとする対応は子供を大変に苦しめます。子供の心の傷を深めていきます。中学校の教師の場合、生徒が登校拒否、不登校をしたときに、その生徒への対応は不可能に近いと言えると思います。多くの例で、子供の心の傷は深くて、担任の教師では癒すことが不可能に近いからです。

 小学校でも中学校でも、特に小学校では、生徒の中には登校刺激により簡単に学校へ行くような子供がいます。それは心の傷が浅くて、簡単に心の傷の症状が抑えられるからです。それを問題が解決したと解釈したときには、子供の心の傷は深まっていき、登校拒否、不登校問題を難しくしていきます。解決が不可能になっていきます。それは別室登校にも当てはまります。原則として、別室登校は子供の心の傷を深くしていくことが多いです。別室登校により、子供の心が癒されない限り、別室登校は害が有っても有効な解決法ではありません。子供に別室登校をさせるにはそれなりの、子供の心を癒すような教師の側の配慮が絶対に必要です。登校拒否、不登校とは学校に対する恐怖の条件反射です。ほとんどの例で、先生や教室など、学校に関する物で子供が反射的に恐怖を感じています。この学校に関する物で、子供が反射的に恐怖を感じなくなったとき、子供の心の傷が癒えたという事になります。そのような意味で、教師のような学校関係者が登校拒否、不登校の問題を解決することは大変に難しいようです。

 教師として子供の親への対応も必須の物です。登校拒否、不登校が子供の心の傷だと理解できるのなら、親へ説明をすべきです。子供を医者でなく、登校拒否、不登校関係の対応する機関や親の会へ紹介すべきでしょう。ほとんどの医者は、登校拒否、不登校が原因で出す子供の症状を、病気として治療してしまうからです。まだ、多くの親は登校拒否や不登校の意味を知りません。誤って解釈している親も多いです。その親たちを納得させるには、先生の立場では大変に難しいです。それ故に登校拒否、不登校の問題を扱っている組織と協力して行う必要が有ります。そのような意味で養護教諭、スクールカウンセラー、適応指導教室、登校拒否を考える親の会などと密接な提携を行う必要があります。ただし、これらの組織にいる人たちが、子供の登校拒否、不登校問題を、子供に問題があると考えて対応する人たちですと、それは逆効果になってしまいます。その点をふまえて、教師の方でも誰と協力してこの問題を解決するべきか、良く検討しておく必要があります。

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