子供達が求めているものは何か?

 子供達は何を親や社会から求めているのかを考えてみる。子供達は成長のために、社会との関係で何が必要とされているのだろうかと言うことを考えてみる。「子供達に必要とされているという実感」と答える人がいる。本当に子供達は必要とされていると感じる必要が有るのだろうか?勿論、子供達は自分たちを否定されると、大変に辛い状態になり、思わぬ行動に走ってしまったり、辛い症状を出したりする。それだからと言って、子供達は必要とされていると感じる必要が有るかというと、そうではない。子供達の成長、心の発達に、社会や誰かから必要とされていると感じなくても、子供は十分に成長できている。それどころか、子供によっては、自分が必要とされていると感じることで、それに答えられない自分を感じたときに、大変に苦しくなっている。辛い立場にいる子供達にとって、要求されることは辛さを増強することになる。

 それでは子供達が必要として求めているのは何であろうか?それはほ乳類の子供の成長と親との関係が大きなヒントを与えてくれる。動物の子供は親が絶対に自分を守り育ててくれると信じているかのように、親に依存をしている。成長の過程で、子供は子供なりに親から学習したり、子供同士の中で、その動物なりの社会性を獲得している。それで十分に大人になって、独り立ちしている。親も子供に必要な物を全て無条件で与えている。そこには損得というような、親の意図や利己的な物は全くない。献身的であるが、子供の成長を見守り、決して要求はしない。全て本能であると考えられる。この親の能力は類人猿までの全てのほ乳類に共通に見られるから、当然人間にも有ると考えられる。

 では、人間ではどうであろうか?新生児から乳幼児にかけての、子供と母親との関係はまさにこのほ乳類の親子の関係である。ところが子供が成長してくると、親はだんだん欲が出てくる。親が子供にある目的を持って働きかけるようになる。その点が、人間とその他のほ乳類との違いである。この違いが人間を他のほ乳類とは違った能力を持った存在にしているし、また、人間にいろいろな性格の存在をもたらしたのである。場合によっては思わぬ性格の子供を作っている。

 登校拒否、不登校、引きこもりの子供達の観察、その他いろ色な状態の子供達の観察から、辛い状態にある子供達への親からの働きかけは、かえって子供達を苦しめ、逆効果であることが解る。働きかけが可能なのは、子供の心が安定しているときである。子供の心が安定していると、周りの人たちのことを考えられるし、自分の持っている知識から、理性的に行動をすることができる。それ故に、子供達が求めている物は、親を含めた大人達からの働きかけではない。

 人間の子供を含めて、ほ乳類の全ての子供達が求めている物は、それぞれの子供達が信頼している大人から、十分な信頼を感じることである。それも、自分を信頼している大人はたった一人、又は一匹でよいようだ。自分が信頼している大人から信頼されていると感じると、子供はとても強く生きるようになる。自分に加わっている問題も自分の力で解消して、成長をしていく。解決できないときには、親の元で時間の経過を待って、問題の解決を行っている。それだけで十分に社会性のある大人になっている。それは人間でも同様であると考えられるし、実際に登校拒否、不登校、引きこもりの子供達を見ていると、人間でも同様であると解る。

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