「こみゆんと」44号(あゆみ出版)
特集=子供の「傷ついた心」はどうすれば癒せるか

親自身の安心のためにやることは無駄になる 赤沼侃史

 登校拒否は日本独特の問題ではありません。しかし、日本ほど子供が登校拒否で複雑な症状を示す国は欧米にはありません。それは欧米では子供が登校拒否を起こしても、親は子供が学校へ行かないことをあまり重要視していないからです。これだけが欧米との違いではありませんが、日本では、子供が行くことを拒否している学校へ親が無理やりに押しだしているところが、日本での登校拒否の大きな問題点となっていることは間違いありません。

 これからの話を進めるにあたって、二つばかり言葉の持つイメージを統一しておく必要があります。その一つは「心の傷」という言葉です。心という言葉自体がわかりずり言葉ですが、それはさておいて、体という物体に対して、心という物体があると想像してください。その心という物体に刃物で傷をつけて、血を流すことをイメージしていただければ、「心の傷」という意味はそれで十分だと思います。
次に「登校拒否」という言葉です。登校拒否とは子供がいやだと言って、または態度で示して、学校へ行かないことです。心に大きな傷をつけられて、怖くて学校へ行けないという意味です。それ以外の理由で学校へ行けないことを、ここでは「不登校」と表現しておきます。

◎登校拒否は子供の心が傷つけられて起こる

 まず、子供は勉強が嫌いで登校拒否はしません。ただ単に学校が嫌いで登校拒否をするのではありません。その理由は、この文のなかで感じとっていただければありがたいのですが、ここではふれないで、その事実だけを指摘しておきます。また、勉強ができる子供も、学校を楽しんでいた子供が、突然、登校拒否を起こすことはよく経験することです。いずれにしろ、登校拒否は子供が自分の存在を守るためのごく自然で、当り前の反応なのです。ここで子供のというところに力点を置きたいのです。決して大人ではないのです。では、なぜ子供かというところに触れてみたいと思います。

 お化けや刃物を持った殺人犯を見ると、これを怖いと子供が思うのは当り前です。大人だってこのことは理解できると思います。登校拒否では、子供は学校の中でお化けや殺人犯に相当するものを見たり、それらに接したりしているのです。だから学校が怖くて、学校へ行くことを拒否するのです。怖くて、つらくて、何がなんでも学校へ行きたくないということになります。これはごく自然な人間の反応です。ところが、この「お化け」は、ふだん学校の中では天使のような姿をしていますし、「殺人犯」も紳士の姿をしているために、親を含めて大人達には本当の姿がみえません。そこで大人には、子供の反応が理解できないのです。子供に対して、「あんたがおかしいんじゃないの?」ということになるのです。また、登校拒否では大人の目からみたら、とても信じられないような子供の反応や行動が示されていることが多くあります。それは大人の目、大人の常識が現在の子供の世界にはあわない、通じない時代になっているからです。そのこともこの際、良く肝に銘じておく必要があります。

 ここでなぜ子供がお化けや殺人犯のようなものを学校の中に見るかを説明してみたいと思います。学校で子供が先生やほかの生徒から怖い思い、つらい思いをうけたとします。それがそれで解決して、その後尾を引かなければ、それでおしまいなのですが、その問題が子供の意思に反して解決をはかられたとき、子供の心は大変に不安定な状態になります。その状態で新たに怖い思い、つらい思いをさせられたときには、その子供はふつうの子供が感じる恐ろしさ、つらさの何倍もの影響をうけます。普通に考えられるよりはるかに大きな心の傷を受けます。

 つまり、まわりからみれば些細なこと、見逃してしまうことでも、当の子供には大変に大きな影響、心の傷を与えていることになります。そこで、その子供は、自分の心を傷つけた相手にお化けのような、殺人犯のような恐怖を感じるようになります。別な言い方をすれば、学校にお化けや殺人犯のようなものがいるかどうかは、その子供次第であり、その子供にしかわからないのです。だからまわりの大人は、「その子供がおかしい」と子供に原因を見つけようとするようになります。読者のみなさんにわかって欲しいことは、登校拒否は子供の心が傷つけられた結果であり、原因は別の所、学校の中にあるということなのです。

 ではなぜ、子供はお化けや殺人犯のような怖いものが学校にいると言わないのでしょうか?実はほとんどの場合、子供はそのことを親や先生に訴えています。しかし、常識で判断する親や先生にとってはとても信じられない内容です。当然、親や先生は子供の訴えを無視するか、逆に「あなたがおかしいんじゃないの?」と言って、気づかないうちに子供の訴えを踏みにじっています。そして、踏みにじったことは先生や親の記憶にすら残っていません。そのためかえって子供の心は傷つけられ、不安定になり、後々まで影響が残っていることが多いのです。その結果、前にも述べたように、その子供はより怖い経験をすることになります。それと同時に、お化けや殺人犯のような怖いものがいるということを親や先生に言わなくなります。言うと子供はもっとつらい思いをしなくてはならないからです。

 逆に親や先生は、この子は変な性格の子だ、精神状態のおかしな子だ、ひねくれた子だ、問題のある子だと思うようになります。悪循環に入っていきますが、その原因の一部が親や先生にあることにはまったく気づかなくて、子どもの性格の分析とその対応に明け暮れるということになります。ところが、子どもの性格がどうであるかということは、子供の責任ではありません。それは一部は親からの遺伝、多くは親の対応のなかで形成されており、登校拒否を起こす子供の性格的な変化は、いままで申し上げてきたように、親や先生の対応のまずさでつられています。そこで登校拒否に関して、子供の性格を問題にすることは、子供の意思に反した対応ということになります。

◎子供には怠けで行かないという気持ちはない

 ここまでで登校拒否の子供がどのようにしてつくられるかという事実が少しでもわかっていただけたものとします。また、このように述べた内容から、登校拒否の子供が生じるのを防ぐ方法が、いくらかでも見えくるのではないかと思います。

 登校拒否を防ぐには、まず子供の心を傷つける加害者がいなければいいわけです。はっきりと加害者が特定できるのなら、先生を替えてもらう、クラスを替えてもらう、転校するなどの方法も悪いわけではありませんが、実際には加害者を特定できない例が多いわけです。また、それでいて多くの親は、この点だけで問題の解決を図ろうとする場合もしばしばあります。

 しかし、先生を替えても、クラスを替えても、転校をしても、理想の先生や、クラスや、学校があるわけではありません。多くの例では、登校拒否の原因は、まず一つだと言うことはないからです。登校拒否を起こした直接の原因が、本当の原因では必ずしもありません。いくつもの原因の相乗効果として、子供が傷つき続けて、登校拒否に至った例が大半です。また、子供の傷ついた心もそれらの方法で癒されることはほとんどありません。ということは、この方法での解決はほとんど期待できないということになります。

 したがって、登校拒否を防ぐには少々のことで傷つかない子供に育てること、傷ついてもその傷を癒して、また学校へ行くことが大切になります。ここでは少々のことでは傷つかない子供のことについては触れないでおきます。ここではもっと現実的に、子供の傷ついた心をいかに癒して、学校へ言っても楽かを述べてみたいと思います。

 大切なことは、心の傷を癒せる場所です。いわゆる「安全な場所」です。そして、子供の傷ついた心を癒す場所は多くの場合、家庭しかありません。また一番効率のよい、心を癒す場所でもあります。その理由は発達心理学的に指摘できますが、ここでは省略します。家庭以外で子供の心を癒さなければならないとすれば、それは家庭が機能していないときです。

 一番いい方法は、欧米のように、子供が学校へ行かないことを問題にも、気にもしないで、子供を家庭に受け入れて、その成長を待つことです。しかしこれは、日本の親には大変につらいことのようです。親にはつらく、受け入れられないから、子供に圧力をかけて学校へ行かそうとしますし、それでも行かないから、病院に連れて言ったり、児童相談所に連れて行ったりするのです。そのために大変な努力を親はしています。

 親は、子供が学校へ行って欲しい理由をいろいろとあげています。例えば、「学校へ行かないと大人になって就職できない」と言います。「みんな行っているのだから、自分の子供も行けないわけがない」とも言います。「学校へ行くのは子供の義務だ」と言う大人もいます。しかしその理由がなんであれ、それらの理由の根本には、子供が学校へかないと親には自分の心が大変に不安になるという事実があります。それゆえに、日本の親にとって、子供には学校へ行ってもらわざるを得ないのです。

 この事実をふまえると、登校拒否の問題は、子供が登校拒否を起こさないうちに、傷ついて帰ってきた子供を家庭でどのように癒して、学校へ「行ってもらうか」という問題に変わります。決してどう学校へ「行かせるか」ではありません。行かせようとすると、子供は心が傷ついたまま学校へ行ってしまいます。それでは元もこもなくなります。ですから、子供が「学校へ行きたい」と思うようになって行ってもらうのです。子供の不登校を認めることで、子供の登校拒否は防げるのです。

 今までの私の経験ですと、心の傷のない子供はまず間違いなく学校へ行きたがります。親が黙っていても自分から学校へ行く子供には、心に深い傷がない、あるいは癒されていると言っていいと思います。親が学校へ行ったらとすすめたり、朝一人で起きてこなくて、親が起こさなくてはならないとか、学校へ出かけるまでだらだらとしている、準備ができないなどのことがあるようだと、心の傷を疑わなくてはいけません。

 その際には、家庭で子供の心の傷をいやして、学校へ行ってもらわないと、登校拒否になってしまいます。心の傷を癒す間は、不登校をしてもらうのです。この場合も、不登校をしてもらうのであって、不登校をさせるのではありません。判断はすべて子供に委ねるのです。

 このようなことを申し上げると、みなさんは子供が怠けるのではと思われると思います。それはごく常識的な発想です。しかし、子供には怠けるという気持ちはないと考えてください。一見子供が怠けているように見えても、子供にはそれなりのしっかりした理由があるのです。それを怠けと判断する大人の常識に問題があるのです。登校拒否の問題を考えるときには、怠けると言うことは子供にはないと考えてください。詳しいことは省略します。

◎よく聴くこと、共感すること、希望だけをかなえること

 親と子供の間の互いの信頼関係、それは共感にもつながりますが、信頼関係があると、子供は自分の心の内を何でも話してくれます。思春期になって男の子はあまり話さなくなるという常識は嘘です。男の子が話さなくなるのは親離れをするためだという常識があります。これも嘘です。子供は思春期になり、親離れをしたいのに、親が子離れをできなくて、子供に過剰の介入をするために話さなくなるだけです。子供がしっかりと自立していると、子供は自分の心の内を、特に問題となる点を信頼する親に話して、自分の考えをまとめていきます。問題解決も自分で行なっていきます。勉強に関しても同様です。

 もし心の傷があっても、親が共感することで、子供は自分の心の傷を癒します。親子の信頼関係が子供の心の発達、心の問題の解決、心の傷のいやしには絶対に必要で、一番大切なものなのです。ところが多くの家庭では、子供の心の問題はまったく無視されて、学業の結果ばかりを気にしています。

 登校拒否を防ぐ決め手は親子の信頼関係です。信頼関係の目安を示すものの一つは、子供が自分の心の中を親に話してくれるかどうかです。そのなかでも子供の困っていること、苦しんでいることを話してくれるようですと、まず間違いなく、子供は親を信頼していると考えられます。子供が親に信頼を示したなら、親がその信頼に答えることにより、親子の信頼はより強固になっていきます。ここで間違いやすいことは、子供の信頼に応えるとは、決して子供の問題を解決してあげることではないということです。それは子供にはお節介になります。結果しだいでは信頼を失うことにもなります。

 子供の信頼に応えるには、子供の言葉をよく聴くこと、共感すること、そして子供の希望だけをかなえることです。いま「希望だけ・・・」と表現しました。子供は問題解決が自分の力だけではどうしても不可能なとき、助力を親に求めます。そのときに親が実現して行くという意味です。子供の判断を信頼するという意味になります。

 次に、登校拒否を起こした子供の、登校拒否の解決方を考えてみたいと思います。子供が登校拒否を起こしたと言うことは、大半の例で子供が心の傷を受けたまま、その傷を癒さない状態で学校へ行き、さらに大きな心の傷を受けたということです。つまり、大半の例で家庭が登校拒否を防ぐ機能をその子に必要なレベルで果たせなかったことになります。(登校拒否を起こしていなければ家庭はその機能を果たしている、というわけではもちろんありません)。そのために学校で傷つき続けた結果だということになります。と言うことは、登校拒否を起こした子供の登校拒否の解決方は、まずは安心して休める親子関係を再生する、そしてお互いへの信頼を回復、深化するということになります。それができたなら、あとは親は子供を子供を信頼しておけばいいことになります。そうすれば子供は自分でこの問題を解決していきます。

 「明るい登校拒否」と言われる子供の姿は、こうした親子関係ができていることの反映です。親子の信頼を回復するには、まず親がありのままに子供を認めて信頼することです。子供の要求にすべて応えて、子供の信頼を回復することです。このとき子供を信頼していない限り、子供の要求に応えられなくなります。別の言い方をすれば、子供の要求に応えられない点があるとしたら、それはまだ親が子供を信頼していないということになります。

◎自分らしい生き方ができるようになればいい

 登校拒否の問題を学校に復帰するという局面だけから見てみましょう。年齢が低ければ低いほど、子供が成長する余裕がありますから、心の傷は回復しやすいです。また、一般に心が傷ついている時間が短いので、その分、心の傷も浅い場合が多いです。その逆が年齢の高い子供に言えます。また、年齢が低ければ低いほど自我が確立していないために、自己主張をしません。その結果、心に大きな傷があっても、親の言葉に従って学校へ行ってしまいます。それはすでに述べたように、新たに大きな心の傷を受けてしまうことになります。

 子供が学校へ復帰するときは、くれぐれも心の傷をいやした状態で復帰してもらわなければ、かえって悪い結果をしょうじます。心の傷を癒した状態というのは、親子の信頼が回復して、親が何も言わなくても、自分の意思で学校へ行きたいと言って、学校へ行く場合です。親や周囲の人、先生、カウンセラーが示唆したり、すすめたりして学校へ行きだしたのでは、心の傷の回復は不十分なことが多いです。

 心に受けた傷が大きければ、また心の傷の回復が遅れると、子供は学校へ戻ることを求めません。学校に対する、勉強に対する、学校の友達に関する、学校生活に関する心まで傷つけられているからです。子供の心がどの程度まで傷ついているのかの判断は、子供のことを受容し信頼していない親にはできません。そういう中で判断しようとすると、まず間違いになります。しかし、親が子供を受容し信頼し続けると、子供は傷ついていない部分の心をどんどん成長させて、その子供なりの力強い生き方をします。その子供なりの生き方は、親の希望とはかけ離れているかもしれません。しかし、それでいいのです。

 ここで簡単にまとめてみます。登校拒否をなくすには、子供の心を傷つける人やものを無くせばいいのですが、多くの場合、それは無駄な努力になります。そこで傷ついた子供の心を、傷が浅い内に癒せばいいことになります。子供の心の傷を癒せる場所は、多くの場合家庭しかありません。子供の心を癒せる人は多くの場合、親、特に母親しかいません。そこで私はしばしば「親が変われば、子供が変わる」と言います。親が子供をありのままに認め、共感して支えれば、それはすなわち子供をとことん信頼することですが、子供は自分で自分にかかわる問題と向き合って、ときに必要なサポートを受けながらも自分の手で解決していきます。ただし、それは必ずしも学校へ戻るという意味ではありません。自分らしい生き方のできる人になるという意味です。

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