父親

 川の水は明るい太陽の光を反射しながら、ゆっくりと流れていました。水は澄んでいて、川の底まではっきりと見えました。水の中には魚も多くて、川岸に広く広がる葦原は、私たちカルガモの親子が住むにはうってつけの場所でした。この春、妻と私とはこの葦原に住まいを設け、私たち夫婦には七匹の可愛い子供が生まれていました。日中、私達ははこの川面を泳ぎ回って、食べ物の見つけ方、魚の捕まえ方を子供達に教え、夜は葦原の住まいに戻り、みんなで丸く固まって眠りました。平和で楽しい毎日が続いていました。子供達はすくすくと大きくなっていきました。

 梅雨を迎えて、雨が降る日が多くなりました。しかしこの川の水かさは特に増えるわけでもなく、私は、この川で生活することを決めたことに、誇りを感じていました。

 ところが夏が近づいても、雨は一向に止む気配が無いばかりか、以前より一層激しく、一日中降るようになりました。余りに激しく雨が降るようになったために、私達は遠くまで食べ物を捜しに行けなくなりました。住まいの周囲で食べ物を見つけることが、だんだんむずかしくなってきていました。私は住まいを代える必要を感じ始めていました。

「どうも雨が止みそうにもない。水かさも増えてきそうだ。今にここにいては危険になるかも知れないから、住まいを移そう。」

と私が言いましたが、妻は

「こんな雨の中で住まいを代えるのは大変で嫌だわ。」

と主張しました。

「もうすぐ雨も止むはずだわよ。」

とも言いました。私も

「もう一日待ってみようかな。」

と言って、その日一日川の水の状態を見守っていました。その翌日になっても、

「もう一日待って、様子を見よう。」

と思い、ずるずると葦原に居続けたのでした。

 朝、まだ薄暗い内から、激しい水の音で目がさめました。住まいの周囲は既に完全に水に浸かっていました。住まいの周囲を水が渦巻いて流れていました。水が刻一刻と増してきて、住まいが水の中に沈んでしまうのは時間の問題でした。私は

「しまった。あの予感を感じたときに住まいを移しておけばよかった。」

と思いましたが、いまさらどうにもなりません、手遅れでした。しかし、このままでは住まいが水に浸かって、家族が全滅することは明かでした。私はこの葦原を出て、土手の方に移る決心をしました。

 私の背中に四匹の子供を乗せました。妻の背中には三匹の子供を乗せました。

「しっかりつかまって、離すんじゃあ無いぞ。水に落ちても誰も助けに行けないからね。死んじゃうんだからね。」

と良く言い聞かせましたが、この激しい流れです。私たちの背中はずいぶん搖れていたのでしょう。妻と私とが身を寄せ合うようにして住まいを出て、葦原の中を泳ぎだした時、子供が一匹流れに落ちて流され始めました。子供は

「助けて!お父さん、お母さん!」

と悲鳴を上げました。私も子供の名前を呼ぶのが精いっぱいでした。もし私達がよそ見をしたら、家族は間違いなく全滅したでしょう。私達夫婦は流され始めた子供悲鳴を聞きながら、必死で土手に向かって葦原の中を泳いでいました。現在の危険な状態から、残った子供を助けるので精いっぱいでした。子供の悲鳴はすぐに聞こえなくなりました。それからすぐに妻の背中から、子供が一匹水の中に落ちて流れて行きました。妻も子供も悲しい悲鳴を上げましたが、残った子供を守るために妻も私も、その水に落ちた子供に何もしてやれませんでした。必死で泳ぎ続けました。

 後もう少しで土手にたどり着けるという所で、私の背中からもう一匹子供が水に落ちて、流されて行きました。その子の恨めしそうな叫び声で私の頭の中がいっぱいになりました。それでも妻と私は目をいっぱいに見開いて、全身の力を振り絞って、土手までの距離を泳ぎ続けました。

 土手に泳ぎついても、私たちは自分達の無事を喜び合うことはできませんでした。私の耳の中では、流されて行った三匹の子供達の叫び声が木霊していました。疲れきった体を休めるために座り込んで目を閉じると、三匹の子供達の顔が恨めしそうに私を見ているのが、かえって良く見えました。妻も私も、増水した川に向かって、流された子供達の名前を代わる代わる呼び続けました。この子供達に詫びるために鳴き続けました。残った四匹の子供達は、恐怖と寒さと空腹から、互いの体を寄せ合って、ぶるぶると震えていました。冷たい雨が意地悪そうに、私たちを濡らし続けていました。

 

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