ドスの魚屋さん
僕の家の近所に野良猫のドスがいました。ドスは悪賢くて、すばしっこくて、あばれんぼうでした。その鳴き声は、とても威圧感がありましたから、みんなからドス、ドスと呼ばれていました。そんなドスのことですから、人間からはもちろん、猫の仲間からも嫌われたり、敬遠されたりしていました。
ある日、そのドスが僕の所に、頭をぺこぺこ下げながらやってきました。こんなことは今までに無いことでした。僕は不思議に思って声をかけてみました。
「やあ、ドス。久しぶりだね。ドスの方から僕の所に来るなんて、珍しいね。どうしたんだい。」
「エッヘッヘ。元兄さんよ。俺も心を入れ換えて、気質になって、商売を始めたんでえ。ところがその商売てえのが、うまく行かなくて。そこで元兄さんに、お知恵をはいしゃくしてえんで。」
「へえっ。ドスが商売を始めたのかい。それはいいことだ。それで、何の商売をはじめたの?まさか、魚屋じゃあ無いだろうね。」
「へえ、それが、その魚屋なんでさ。」
「え?魚屋?それじゃあ商品の魚を皆自分で食べてしまったと言うことかい?」
「とんでもねえ、元兄さんよ。俺だってそのぐらいのことはわかってまさあ。涎が出るのも我慢して、商売をしてるんでさあね。」
「それじゃあどんな相談なんだい?」
僕は面白くなって、身を乗り出すようにしてドスに聞きました。
「それがでさあ。店を開いても、お客さんが来ないんでさあね。それで、元兄さんに助けてもらいたいんでさあ。」
「よおし、わかったよ。ドスからの依頼じゃあほおってはおけないから。まず、ドスの店を見せてよね。」
僕はドスの後について家を出ると、二、三軒先の崩れかけた空き家の中に入って行きました。その入口の所でドスが
「ここでさあ。」
と言ったので、僕はびっくりしました。
「えっ、ここが?何もないじゃもないじゃああないか。」
するとドスは家の奥の方から金魚を一匹持ってきて、自分の前に置きました。そして
「へえい、魚屋でござい。魚屋でござい。」と大声をあげました。
「えええ?金魚?ドス、この金魚どうしたんだい?」
「近くの家の池から取ってきやした。」
「そんなことをすると、人間から追い立てられて、商売ができなくなるよ。仕入れもちゃんとしなくちゃあね。」
「仕入れ?どうすればいいんでえ?」
「朝早く港に行って、魚の荷揚げを手伝って、魚を2、3匹貰って来れば、魚屋はできると思うよ。」
「なあるほど、そうすりゃあ、盗まなくても済むと言うわけですかい。」
「うん、そうだよ。それから、魚を一匹、丸毎売ろうとしても、買える猫はいないと思うよ。切身にして売ると、御客が来ると思うんだ。」
そこでドスは自分の前に置いていた金魚を幾つもの切身にかみちぎりました。口の周りに付いた魚の汁を、自分の長い舌でぺろぺろなめながら言いました。
「これでいいすかい。」
「後はちゃんと並べて、値段をつけてね。僕は村の中を歩いて、ドスの店の宣伝をしてくるから。」
僕は村の中を歩き回って、猫を見つけてはドスの魚屋の宣伝をして回りました。こ一時間村の中を歩いて、ドスの店に帰ってみると、店はたくさんの雌猫で大賑わいでした。子猫を連れた猫もいました。その中で、いつもならふんぞりかえっているドスが、頭をぺこぺこさせながら、大汗をかきかき、猫達を整理していました。
「順番、順番。並んで並んで。」
「助かるわ。子どもがいると、こんな店が有ると、本当に助かるわね。」
いろいろな声が聞こえました。
その二、三日後、僕はドスの店を覗いてみました。店には何匹かの猫の御客がいました。その御客を相手に、ドスが威勢良く声を上げて、商売をしていました。僕はドスの店の繁盛ぶりに、安心してその場を離れました。