銀河鉄道指定乗車券
私はある町で小さな古本屋をしていました。ある日の夕方、青年が顔色を変えて、息をはずませて、店の中に飛び込んで来ました。
「銀河鉄道の夜の本、ありますか?」
「あの、宮沢賢治の童話ですね。」
そう言って、私はその青年を、本の有るところに案内しました。青年は数冊有った、銀河鉄道の夜の本を片端から調べて、首を横に振って言いました。
「違うんだよ。これぐらいの大きさの、絵本になった、物なんだよ。僕の本だったんだ。母さんが勝手に処分して賣ってしまったたんだ。その本が欲しいんだよ。」
そういえば一週間ぐらい前に、中年の女性が本を十冊ほど売りにきました。それらの本は保存が良くて、古本として商品になりそうだったので、私が買い取ったのでした。その中に確かに、銀河鉄道の夜という挿絵のたくさん入った本があったことを思いだしました。「ちょっと待っててください。」
私はカウンターに戻って、伝票を調べてみました。
「山本さんですか?確かに七月十二日に、銀河鉄道の夜を持ってこられました。」
私が言うと、青年は目を釣り上げて、
「そう、その本、どうなりました?」
と口ばやに質問してきました。
「あそこに並べましたから、あそこにないということは、もう売れたのでしょう。」
私はそっけなく答えました。すると青年はがっかりして、体の力が抜けたようになりました。
「それじゃあ、誰が買ったか解りませんか?」「本を買い入れるときには名前をひかえますが、賣った人の名前は全く解りません。」
「そう、そうですかあ」
青年は弱々しい声で言いました。私は不思議に思って、帰りかけた青年に質問しました。
「何かその本に意味があるのですか?」
「ええ、あのう。あの本の中に、銀河鉄道の指定乗車券をはさんでおいたのです。それがないと、銀河鉄道に乗れません。」
青年が真面目な顔をして言うので、私はびっくりしました。
「銀河鉄道?新幹線じゃあないの?」
「いいえ、銀河鉄道です。本当に有るんです。七月二十五の指定乗車券だったのですが。」
「それでどこへ行くんですか?」
「銀河です。銀河の中のいろいろな星に行くのです。」
「行って何をするの?」
私は質問を続けました。すると青年の目が輝きだしました。
「僕は宇宙を研究しています。銀河の星を調べて、そこがどんな所でどんな生き物がいるのか、研究するんです。」
「ほう、そうだったの。それは困ったねえ。」
私はそれ以上続けられませんでした。青年は足を引きずるようにして帰って行きました。
その翌日のことでした。中年女性のお客さんが現われて、買った本の中に切符が一枚入っていたと言って、その切符をおいて行きました。それは銀色の葉書大の紙に、大きく「銀河鉄道指定乗車券、七月二十五日、山本秀夫様」と書いてありました。私はしばらくの間それをじっとみていました。すると昨日の青年のことを思いだしました。すぐに伝票を繰って、山本さんの電話番号を捜し出し、電話をかけました。電話には昨日の青年が出ました。
「昨日おっしゃっていた、銀河鉄道の切符が帰ってきました。本を買った人が持ってきてくれました。」
電話の向こうでは、昨日の青年が驚いたような、嬉しそうな声をあげました。
「ありがとうございます。すぐに取りに行きます。本当に、ありがとうございます。」
「ええ、そうしてください。」
私は電話を切りました。
それから十分ぐらいたった頃でしょうか。昨日の青年が嬉しそうに店に入ってきました。「本当にありがとうございます。おかげで銀河鉄道に乗れます。」
「良かったですね。それにしても、銀河鉄道はどこにあるのですか?」
私は不思議に思っていたことを、思い切って青年に聞いてみました。
「僕の心の中です。僕の心の中から、遠くの銀河の果てまで続いているんです。」
私はなんと答えたら良いのか解らなかったので、ただこの青年の顔をじっと見つめていました。青年は嬉しそうに一礼をすると、帰って行きました。