畑

                          須藤 透留

 昔、昔、全ての人々がまだ田畑を耕して生活をしていた頃の話です。お釈迦様は人々の心を正すために、地面の奥深くに地獄を、雲の上に天国を作られました。お釈迦様は人々の間を説法をして回り、人が死ぬと、心が悪い人は地獄で灼熱の炎で責め続けられて、心が正しい人は天国で楽しく過ごせることを優しく説いていました。

地上が夜になったので、お釈迦様は天国にやってきました。天国には夜がありません。寒くもなく、熱くもなく、いつも綺麗な花が咲き乱れ、鳥が飛び交い、動物たちが遊ぶ天国では、病気の心配も、飢える心配もありません。男も女も、老いも若きも、人々はただただ笑ったり、歌を歌ったり、踊ったりして、いつも楽しく過ごしていました。お釈迦様はいつものように、その人々の姿を満足そうに眺めて歩いていました。

 お釈迦様が天国の巡回を終えて、今度は地獄の巡回に向かおうとなさったときのことでした。美しく花が咲き乱れる野原の一部に、地面がむき出しになっているのを見つけられました。
「おやおや、これはどうしたことだ。何が起きたのだろうか?」
と、お釈迦様は思われて、その場所に近づいて行かれました。その場所では一人の男がしきりに棒を振り回して、何かをしていたのです。
「天国に来る人間は、花を痛めたりするはずがないのに、これはどうしたことか?」
と、お釈迦様は思われて、その男の側までやって来られました。

 お釈迦様が近づいていっても、男は一向に手を休めませんでした。棒で地面を掘って、花の咲いていた植物の根を掘り起こしていました。
「これこれ、お前は何をしているのだ。みんなが喜ぶ花を掘り起こしてしまって、それは罰に値する。天国から地獄へ送るぞ。」
と、言われました。すると男は手を休めて、じろっとお釈迦様を見つめて言いました。
「これは、これは、お釈迦様。ご苦労様です。私が肺病で死んでしまいましたが、天国に来させて下さって、本当に有り難うございました。ここはは天国ですから、今まで私は他の人たちと楽しく遊んで過ごしていました。楽しく過ごしていたつもりなのですが、どうしてもどこか楽しくなかったのです。その理由を私はじっくりと考えてみました。」
男は少し間を開けて続けました。
「そしてわかったのです。私が楽しく過ごすと言うことは、他の人のように、遊んで過ごすのではなかったのです。私が楽しく過ごすとは、地面を耕し、苗を植えて、育てて、実らせることだと気付いたのです。そこで、他の人に迷惑にならない所を耕し始めたのです。」
男はお釈迦様を無視して、又地面を黙々と耕し始めました。

 お釈迦様は、ハッとしました。直ぐに返事ができませんでした。男のしていることは、天国での約束違反です。天国では悪いことです。お釈迦様として許せないことです。しかし人間としては正しいことです。人間として好ましい姿です。お釈迦様が地上で人々に求めてきたことです。人は地上でさんざん苦労をして、死んだら天国で何もかも忘れて楽しく過ごすものだとお釈迦様は考えておられました。この男のように、死んで天国まで来て働くとは、考えておられませんでした。働くことが楽しいと言って働きだしたのは、この男が初めてだったのです。

 お釈迦様は腕組みをなさって、働いている男の姿を暫くじっと見つめていました。そしておもむろに言いました。
「お前をここに置いておくと、天国の規律が乱れてしまうから、お前をここに置いておく訳にはいかない。しかし地獄に行かせるわけにも行かない。もとの家に戻すわけにも行かない。お前は地上に戻って、荒れ地を開墾するがよい。」

 暫くすると男は、地上の見知らぬ荒れ地の中を流れる小川の側に立っていました。周囲を見回しても家一軒もありません。男は両手を合わせて、お釈迦様に感謝をすると、早速荒れ地を耕し始めました。耕した所から種を蒔いて、穀物や野菜を育てました。その様に一生懸命男が働いていましたから、男は自分が天国に行っていたことをすっかりと忘れてしまいました。    


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