カタツムリの旅   須藤 透留
 
 町の郊外にある隼の森は初夏を迎えて、緑はますます深くなっていきました。僕はこの森に住むカタツムリです。この時期を迎えて、どの様な理由だか解りませんが、僕は森の中を走る道の向こうに移る欲求にかられていました。それは僕たちカタツムリの本能なのかもしれません。どうしてもこの道を渡って向こうの森で新しい仲間を見つけたいという気持ちをどうしても押さえることができませんでした。ところがこの道は幅が二メートルもあり、表面は舗装されていました。僕たちカタツムリがこの道を横切ると言うことは、人間が広い砂漠を横切るのと同じだと思います。僕たちカタツムリにとっては大変危険な旅で、命を懸けた大冒険なのです。
 ついこの間、僕の友達が昼のさなか、この道を渡って向こうの森へ行こうとしました。しかし、暑い日の光に当たって友達は動けなくなりました。そこで背負っていた自分の家に潜り込んで一休みしていましたら、自動車が走ってきて、家ごと踏みつぶされて死んでしまいました。
 又別の日、別の友達が雨降りの中でこの道を渡って向こうの森へ行こうとしました。しかし道は水浸しで、友達は呼吸が出来なくなり、息苦しくて引き返してきました。
 そこで僕は友達の失敗を参考にして、朝早く、未だ薄暗い内にこの道を横切って、向こうの森へ行こうと決心しました。朝霧で湿った舗装道路の表面は思ったほど苦しくはなかったのですが、それでも枯れ草や木の葉の上を歩くのとは全然違います。ゆっくりゆっくりと道の反対側を目指して歩き続けました。
 どれくらい歩き続けたでしょうか。僕は突然すごい鼻息を感じました。吃驚してアンテナの様な両目を伸ばしてその鼻息の方向を見ると、茶色な犬が真っ黒な鼻を僕の側に持ってきて、クンクンと臭いを嗅いでいるのではありませんか。僕はあわてて背中に背負ってきた家の中に潜り込みました。幸いにも犬は、その犬の主人にせき立てられて、何もしないですぐに走っていきました。
 犬が走り去ると、僕は自分の家から出て又黙々と歩き続けました。背伸びしてもどの方角に進めばよいのかはっきりしません。ただ向こうの森の臭いを頼りに歩き続けました。すると今度は人が走る足音が聞こえてきました。さてどうしたらよいものか、僕には直ぐには解りませんでした。まごまごしていると、僕の側を朝のランニングをしている男の人が走りすぎていきました。きっとこの人は僕を避けて走っていってくれたのだと思います。
 それからどれくらいたったでしょうか。僕は僕の体内から湧き出す欲求に従って、ただ黙々と歩き続けました。しかし道路の向こう端はなかなか近づいてはくれません。太陽が道路を照らし始めました。暖かくなって体の動きは楽になったのですが、道路の表面が乾いてしまうのが心配です。僕は少し焦っていました。その時僕のすぐ側で小さな子供の声がしました。
「お父さん、でんでん虫が道の上を歩いているよ!」
「ああ、ほんとだ!ここで何をしているんだろうね。」
子供の父親が言いました。
「お父さん、このでんでん虫、家へ持って帰っていい?」
「きっとこのでんでん虫はお母さんの所へ帰ろうとしているんだよ。だからこのままそっとしておいてやろうよ。」
「うん、そうしよう、お父さん。お母さんの所へ帰れるといいね。」
子供はそういって、お父さんと手をつないで、歩いて行ってしまいました。
 僕は歩き続けました。それから何分かたちました。激しい地響きがこちらに近づいてきました。きっと自動車でしょう。
「どうしよう、どうしよう。」
僕はパニックになってしまいました。ただあたふたとしている内に、もの凄い轟音とつむじ風のような強風を作りながら、僕の上を自動車が走り去っていきました。
「助かった!」
 僕は胸をなで下ろしました。僕は歩き続けました。路面は乾いてきて歩きずらくなりました。それでも僕は歩き続けました。生きて道の向こう側にたどり着くため、ただ歩き続けなければならなかったのでした。
 その内だんだん土と草の臭いが強くなってきました。もうすぐ道路を横断できそうです。僕ははやる心を抑えて歩き続けました。そしてついに道路を横断する事ができました。
 そこには湿った地面と、空を見ることができない程たくさんの木や草が生え、枯れ草もたくさん有りました。友達もたくさんできました。僕はお嫁さんも見つけることができました。
 
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