ミクちゃんの赤いたんたん(靴) 須藤 透留
ミクちゃんが歩けるようになりました。おむつで膨らんだお尻をゆすりながら、よちよちと、嬉しそうに歩きます。ミクちゃんは赤いたんたんを履いています。この靴はミクちゃんが生まれて間もなくの頃、私がある店で買いました。どことなく引かれるものが有ったので、
「ミクちゃんが歩けるようになったら履かせてみようかしら。」
と思って買っておいたものです。
天気の良い日には、私はミクちゃんを庭の芝生の上で遊ばすようにしました。ミクちゃんはおもちゃのプラスチック製のスコップや茶碗やお鍋で、ぶちゅぶちゅいいながら一人で遊んでくれました。私は家中でミクちゃんを見守りながら、掃除洗濯などの雑用をこなしていました。私がミクちゃんから目を離さなければならない時には、
「ミクちゃん、すぐ戻って来るからね。そこで遊んで待っててね。」
と言って離れると、ミクちゃんは大人しく遊びを続けて待っていました。
ある日、私がミクちゃんを見ながら、部屋の中で繕い者をしている時でした。玄関のチャイムが鳴って、来客が有りました。私はいつものように、
「ミクちゃん、お客様みたい。すぐ戻って来るから、そこで遊んで待っててね。」
と言って玄関に出てみました。新聞屋さんの集金でした。私は台所に行ってお財布を取ると、玄関に行きました。お金を払い終わるまで二、三分ぐらいだったでしょうか。私がミクちゃんのところに帰ってみて、腰が抜けるほどびっくりしました。ミクちゃんが庭にいなかったのでした。
「ミクちゃん、ミクちゃん、どこにいるの、ミクちゃん。」
私は大声を挙げてミクちゃんを呼んでみました。しかしミクちゃんの声はどこからも聞こえませんでした。私はあわてて庭に降りると、さほど広くない庭中捜して回りました。しかしどこにもミクちゃんは見つかりませんでした。
私はあわてふためいて、
「ミクちゃん、ミクちゃん」
と叫びながら、家の周囲や近所を捜して回りました。近所の奥さん達が私の声に驚いて出てきました。
「どうしました、奥さん」
と口々に聞いてきました。私は蒼白な顔をして、焦って
「ミクがいなくなったの、ミクがいなくなったの。」
と繰り返し、ミクちゃんを捜して走りまわるだけでした。近所の人たちも手分けをして、あちらこちらを捜してくれました。しかしミクちゃんはどこにも見つかりませんでした。
ある人が
「誘拐されたのかしら。」
と言ったので、私はついに耐えれなくなって
「ミク、ミク、どこにいっちゃったの・・・」
と泣きだしてしまいました。
警察に届ける前にもう一度広く捜してみましょうということになり、私も気を取りなおして
「ミク、ミク。」
と叫びながら公園の方へ向かって走って行ってみました。
その公園は私の家から五百メートル以上は離れていますから、とてもミクちゃん一人で来れるところでは有りませんでした。しかし私の叫び声が公園にいた人に聞こえたのでしょうか、公園の方から女の人が手を振りながら駆け足でやってきて、
「よちよち歩きの赤い服の女の子を捜していますの。」
と私に聞きました。私がうなずくと
「その子なら公園の砂場にいますわ。一人で公園へやってきたから、どこのお子さんかと、みんなで心配していましたのよ。」
と言って、その女性と私は一緒に公園に駆けて行きました。
公園の砂場にはミクちゃんが他の子ども達を無視して、一人で遊んでいました。しきりと砂をスコップですくってバケツに入れたり、そのバケツの砂をまき散らしたりしていました。私は急いで駆け寄ってミクちゃんを抱き上げましたが、ミクちゃんは特に何の変わった反応も示しませんでした。
夫が仕事から帰ってきて、私は今日のミクちゃんに起きたことを話しました。夫は
「お前が庭の戸を開けて置くからだよ。」
と言って私を叱りました。私はその時、庭の戸は閉まっていたような気がしましたが、自信がなかったので、
「はい、はい。ごめんなさい。これから気をつけるわ。でも、私が玄関に出ていたちょっとの間に、公園までミクちゃんが一人で歩いて行けるとおもえる、あなた?」
と言いましたが、夫も
「そうだなあ、不思議だなあ。誰かが連れ出したのかなあ。」
と言っただけでした。それから後、私は必ず庭の戸の鍵が掛かっていることを確かめてから、ミクちゃんを庭で遊ばせました。
そのことがあってから一カ月も経たないある日の午後の事でした。その日も私はミクちゃんを庭で遊ばして、私は縁側で編物をしていました。編物の糸がなくなったので、ほんの三十秒、私は隣の部屋に糸を取りに行きました。そして縁側に戻って喫驚しました。ミクちゃんがいなかったのです。私は庭に降りてミクちゃんを捜してみました。ミクちゃんはどこにも居ませんでした。庭の戸も閉まって鍵が掛かっていました。私はひょっとしたらと思って、公園へ駆けて行きました。すると公園にはミクちゃんがよたよたしながら滑り台を逆に登ろうとしていたのでした。
私はしばらくの間ミクちゃんと公園で遊んでから、ミクちゃんの手をひいて家に帰りました。ミクちゃんはあひるさんのように大きなお尻を振り振り、赤いたんたんをぱたぱたさせながら、十分以上もかけて家に帰ってきたのでした。公園まではミクちゃんがとても一人で歩いて行ける訳が有りませんでした。
それ以後、私はミクちゃんにその赤いたんたんを履かせるのを止めました。そしてそれ以後、ミクちゃんは一人でどこかへ消えてしまうことは有りませんでした。