龍と娘との話 須藤 透留
昔々、ある国の山奥に一匹の龍が住んでいました。この龍が空を歩き回ると雨が降り、走り回ると嵐になり、はね回ると稲妻が激しく轟き渡ったものでした。ですから人々は山奥に社を建ててお供え物をして、龍の機嫌をとったものでした。
ある年の事でした。その年は龍の機嫌が悪くて、龍はたびたび空を歩き回ったり走り回ったりしたもりですから、地上では毎日雨が降り続き、洪水になって、多くの田畑が水に漬かってしまいました。大変困ってしまった人々は山奥の社にたくさんの供物を捧げて龍の機嫌をとろうとしましたが、それでも龍はイライラして天を歩き回り続けました。
困り果てた人々は幾度も集まって相談しましたが、なかなか良い知恵はでてきません。人々の中には龍を退治せよと言う人もありましたが実際に龍退治に出かける武者は誰もいません。生けにえを捧げようといって、国中で一番美しい娘を選んで社の柱に縛りつけておきましたが、龍の機嫌は一向に良くはなりませんでした。
ある百姓の家に年頃の娘が一人いました。その百姓の畑も雨のために種蒔すらできません。家は貧しくて売ってお金に換えられる物はなにもありませんから、その日の食物もこと欠くようになりました。
この百姓の娘は日焼けした働き者で質素な身なりをしていましたから、人目にも決して美しいとはいえませんが、とても心の優しい親思いの娘でした。娘には両親の苦しみが良く解りました。両親から生けにえの話を聞いた時、自分でも何かしてみたいと娘は考えました。
ある夜のこと、両親が寝込んでしまった後、娘はそっと家を抜け出して山奥の社めざして歩き出しました。いくら慣れた山道といっても、雨がしとしとと降る真っ暗な夜道です。その恐ろしさといったら例えようもありません。娘は人々のため両親のためと勇気を奮い立たせて歩いていきました。
娘が社に着いた頃には周囲はすでに明るくなりかけていました。柱に縛りつけられた娘の縄を解いて社の中に寝かせてやると、激しい雨、風、稲妻と共に大きな龍が現れました。真っ黒な巨体にギラギラと光る大きな目、大きな口は娘を一飲みできるぐらいです。その恐ろしさは見ただけで気を失ってしまいそうなくらいです。
「何をしに来たんだ!」
龍は怒鳴りました。娘は体の震えを必死で抑えて言いました。
「お願いです。お父さんお母さんを助けて下さい。雨を降らすのを止めて下さい。このままですと食物がなくなって、家中みんな死んでしまいます。お願いです。」
龍はしばらくの間じっと娘を見つめていましたが、何を思ったのかその大きな手で娘をつかむと空へ舞い上がり、もっともっと山奥の自分の住みかの洞に帰って行きました。娘は龍の手の中で気を失っていました。
龍が自分の洞に帰ると、国中の空がパッと晴れ渡って明るい太陽がさんさんと大地を照らしだしました。もちろん人々は大喜びです。より多くの贈物を持って山奥の社に出かけ、生けにえとして捧げられた娘を連れて帰りました。人々はこの娘のお陰で雨が止んだと考えたからです。もちろんこの娘は社の中で小さくなって震えていただけですから、事の真相は全く知りません。人々から言われるままに、自分が生けにえとなったため龍がおとなしくなったと信じ込んでしまいました。そしてその後この娘は王の后として迎えられました。
龍の洞に連れて行かれた娘は間もなくして気がつきました。そして龍とこの娘との二人の生活が始まったのです。今まで一人ぼっちだった龍にとってこの娘との生活はとても楽しいものでした。龍は野山の野菜や果物を集めて来ました。娘はそれを料理したり、龍の身の回りの世話をしました。実は龍はとても優しい動物だったのです。
このようにして何十日かたちました。ある夜のこと、龍は娘が寝言で両親の名前を呼び、涙を流しているのを見てしまいました。龍は娘が可愛そうと思い、娘を両親のもとへ帰してやろうと決心しました。そこでその夜まだ暗いうちに娘を起こして背中に乗せ、野山を一飛びして、娘を両親の住む家の前におろすと、すぐに又自分の洞に帰って行きました。 娘を見つけた両親は大喜びでした。娘にどこに行っていたのか尋ねましたが、娘はただ山の中で道に迷ってしまったと答えるだけで、龍と暮らしていたとは決して口にしませんでした。両親でさえ信じてもらえないとおもったからです。
このようにして、再び娘と両親とののどかな生活が再開されたのです。