水槽の中で

 学校から帰ってきても、今日はつまらなかった。ファミコンの電源の調子がおかしくて、ファミコンができなかったのだ。仕方が無かったので、暇にまかせて、玄関の大きな水槽をのぞき込んでいた。中には十数匹の赤い金魚と鮒とが、水草の間を好き勝手に泳いでいた。僕が覗いていることに気づいてか、逆に僕の事を覗きかえす金魚もいた。

 僕が水槽を覗いていると、水槽の中に僕とそっくりの影があるのに、ふと僕は気づいた。はじめのうちは僕が水槽のガラスに映っていると思ったがのだが、よく見るとその影は僕と違う動きをしていた。

「あれえ、何だろう。僕が水槽の中にいる。」僕は不思議に思って、水槽の中の自分の一挙一動に注目していた。するとその内に、どうも僕が見ているのは、水槽の中の僕でなくて、水槽の外の僕のような気がしてきた。どうも向こう側に見えている僕の周りの様子が、部屋の中のようだし、いまいる僕の周りには、水草が生えているし、僕の近くを金魚が泳いで行ったりしていた。

「へえ、近くでみると、金魚って、こんなに大きいのか。」

僕はびっくりして、その泳いで行った金魚をぼけっとして見ていた。

 突然後ろで大きな声がした。

「こいつはなんだ?餌か?」

「生きているみたいだよ。」

僕はびっくりして振り返った。そこには大きな鮒が二匹、僕の方を見ていた。水槽の中で一番大きな鮒と二番目に大きな鮒だった。

「なあんだ、鮒か。おどかすなよ。」

僕は言った。

「鮒とは何だ。俺様に向かって。生意気な奴だ。こらしめてやろう。」

一番大きな鮒が言った。

「兄さん、ちょっと待って。こいつ、どこかで見たことがあるよ。今すぐに思い出せないんだけど。」

二番目に大きな鮒が言った。

「僕は純一だ。この家の子供だぞ。」

僕は勇気を奮い立たせて、大声で言った。何しろ相手は僕の倍以上もある大きな魚二匹だ。水の中だし、僕は素手だ。喧嘩をしても勝てそうもない。「こちらの勢いで相手を圧倒するしかない」と僕はとっさに考えた。

「そうだ、こいつはこの家の坊ちゃんだ。何でこんな所にいるんだ?やべえ、やべえ、関わっていると後で恐いぞ。くわばら、くわばら。」

と言って、二匹の鮒は泳いで何処かへ行ってしまった。僕はほっと胸をなぜおろした。

 塾へ行くまで、まだ若干の時間があったので、僕は水槽の中を散歩してみることにした。水草がポプラ並木のように見えた。水槽の底の小石が岩のようだった。その上をつまづかないように気をつけて歩いた。他の鮒達や金魚達が遠くから、何か噂話をしながら、僕の方を見ていた。この水槽の中では、もう僕には何も恐いものはなかった。僕は胸を張って、ゆうゆうと歩いていた。

 歩いていると、去年の夏、茨城の山を登ったことを思いだした。すがすがしい空気、青い空。密生して生えていた、背の高い木々。その中でいろいろな小鳥達が僕の事を見て、噂をしていた。そのような気持ちの良い経験が、この水槽の中でよみがえってきた。

 ふと気がつくと、もう塾に行かなくてはならない時間だった。僕はあわてた。どのようにすれば元のように、水槽の外に出られるのか、全くわからなかった。泣きたい気持ちになって、水槽の外をじっと見ていた。そこには、その水槽のガラスの表面には、僕の泣きそうな顔が映っていた。

 その内に泣きそうな僕の顔がはっきりとガラスの表面に映りだした。その僕の顔の周りには、水草に代わって部屋の家具が映っていた。僕ははっとした。間違いなく僕は部屋の中にいた。いつのまにか水槽から部屋の中に、僕は戻っていたのだ。そうだ、僕は塾に行かなくてはならない。

「鮒君に、金魚君、また遊びに行くから、今度は一緒に遊んでくれよ。」

僕はそう言い残すと、勉強道具を持って、塾に出かけた。

 

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