登山道のりんどう

 尾根近くの登山道は、赤土を露出した、岩だらけの険しい道になっていました。その道端に、真夏の暑さと、明るい太陽の光にはぐくまれて、私は一人ぽつんと育っていました。一日に何十人もの人が、大きな荷物を担いで、登山道を登って行ったり、下って行ったりしました。その人達はただ黙々と歩いて通り過ぎて行き、私が道端に生きていることには、全く気がつきませんでした。私はいつも一人ぼっちでした。私のすぐ近くを人が通るときには、私は大声を上げて話しかけてみました。けれど登山者は誰も答えてはくれませんでした。

 赤とんぼが飛んで来て、私の肩に止まって言いました。

「やあ、りんどうさん。一人でさびしくないの?何でこんな所で生活しているの?」

「赤とんぼさん、遊びにきてくれてありがとう。気がついたときには、私はここにいたのよ。赤とんぼさんはいいわね。好きなところへ飛んで行けるから。」

「その代わり、僕達には恐い敵がたくさんいます。ここは僕達にとっては、天国みたいで

とてもいい所なんだけど。僕達、これから里へ降りて行きます。里には、危険がいっぱいあるのです。敵がたくさんいるのです。」

「そうなの。それじゃあここで私と一緒に暮らさない?私は一人ぼっちなんだもの。」

「僕達は里へ降りて行く宿命なのです。それに逆らうことはできないのです。」

「それは残念ね。私にとっては、ここだけで生きて行くのが宿命なんですものね。」

赤とんぼはひと休みすると、どこかへ飛んで行ってしまいました。

 ある日、数名の登山者のパーティーが、登山道を登ってきました。その内の一人が

「僕の靴は釘の様なものがうってあるから、土の所の方が登り易い。」

と言って、道端を歩いて私に近づいてきました。私は大声で

「おおい、おおい、そこの登山者さん。登山道を歩いて下さいな。私を踏まないように気をつけて下さい。」

と言いました。しかしその登山者は、私の言葉が聞こえなかったのでしょう。そのまま道端を登って来て、その硬い登山靴の靴底で、私を思いきり踏みつけてしまいました。

「痛い。」

私は全身に痛みを感じて、地面に横たわりました。意識も失ってしまいました。

 優しい夜風が、私の意識を取り戻してくれました。

「可哀そうにね。おお、よしよし。こんなに大けがをして。痛かってでしょう。私が傷を治療してあげましょう。」

夜風は冷たい夜露を私の体中の傷に優しく塗ってくれました。

「ありがとう、夜風さん。おかげで、少し楽になりました。しばらく横になって、傷が治るのを待ちます。」

「ええ、それがいいでしょう。それにしてもひどい登山者でしたね。ちゃんと登山道を登ってくれれば、りんどうさんはけがをしなくてすんだのにね。私は旅を続けなければなりません。早く元気になって下さい。」

「夜風さん、本当にありがとう。助かりました。さようなら。」

夜風は何処か遠くへ行ってしまいました。  朝になり、明るい太陽が空に上ってきました。太陽は地面に横たわっているりんどうを見つけて言いました。

「りんどうさん、大けがをして、気の毒だったね。私が栄養のいっぱい入った光を上げるから、それを吸い取って、早く元気になって下さい。」

「ありがとう、お日様さん。お願いします。私は早く良くなって、早く大きくなって、私の花をいっぱい咲かせたいのです。ぜひ、ぜひ、お願いします。」

りんどうが気持ち良く過ごせるように、林道が横たわっている地面を

太陽は暖めてくれました。りんどうには傷を治すための光を、さんさんと注いでくれました。りんどうは太陽からの栄養を貰って、だんだんと元気になりました。二、三日も経つと、りんどうは一人で起きあがれるようにもなりました。一週間も経つと傷はすっかり治って、りんどうは元のように元気になりました。

 それから何日かたった夜の事でした。天上に青白く明るく輝く星が、りんどうに声をかけました。

「おおい、りんどうさん。今晩わ。私ね、ある人に会ったんだ。その人は心の優しい登山家でね。その人にね、りんどうさんのことを話しておきました。きっと明日の朝、登って来ると思います。その人に助けて貰うといいですよ。」

「お星さん、今晩わ。その人が、私をもっと安全なところへ移してくれると、言う意味ですか?」

「そうです、りんどうさん。」

「それは本当にありがとう。明日がまちどしいですわ。」

 翌朝になりました。りんどうは登って来る人に、自分の体をめいっぱい揺すって、

「私はここですよ。私を助けて下さい。」

と叫んでみました。しかし登って来る人はみな、りんどうの声には無頓着で、どんどんと登山道を登って行きました。

 何人目かの登山者が、あたりを注意深く観察しながら登って来ました。りんどうは

「お星様が言っていた人は、きっとあの人のことでしょう。」

と思いました。そこで思いきり声を張り上げて叫びました。

「おおい、おおい、登山者さん。私はここですよ。あなたの捜しているりんどうは、ここにいます。」

するとその登山者は四方をきょろきょろと見回して、

「お星様が言っていた、りんどうさんのことかい?君はどこにいるのだい?」

と大声で言いました。

「そう、それが私のことです。私はここ、ここ。ここですよ。」

と体中の葉っぱを揺すって、その登山者に答えました。

 登山者が私の側にやって来ました。

「本当。みやまりんどうだ。こんなに珍しい植物が何でこんな所に生えたのだろう。それにしても、こんなに傷んでしまって。可哀そうに。誰かに踏まれたのかい?」

「どうか助けて下さい。先日、登山者に踏まれてしました。ここにいると、また踏まれてしまうかもしれません。」

「やっぱりそうだったのかい。よく枯れなかったね。良かった、良かった。間に合って良かった。今、僕が助けてあげるからね。」

そう言うと、登山者はポケットから折り畳み式の移植ごてを取り出して、私の周囲を注意深く堀りだしました。その登山者は私を堀上げると、登山道から離れた、陽が良く当たる暖かい地面に、私を植えかえてくれました。

 短い夏が終わり、草木が色づき始めました。りんどうは背丈も延びて、数個の薄青紫のかわい花をつけました。

「あの親切なお兄さんが、私の花を見にきてくれないかしら。」

りんどうはこう思い続けていました。その様なある日、あの登山者が足元に気をつけながらやって来るのを、りんどうは見つけました。

「私はここよ。私に会にきてくれたの?」

りんどうは叫びました。

「やあ、あった、あった。きれいな花だなあ。無事に花を咲かせられて、良かったなあ。」

「ありがとうございました。お陰様でこんなにきれいな花を咲かせることができました。」りんどうは少し考えてから、続けて言いました。

「でも、お兄さん。どうして私のことを、こんなに大切にしてくれるのですか?」

「それはね、君が珍しい、天然記念物のりんどうだからだよ。」

「では、お兄さんは、私が珍しい、天然記念物のりんどうで無かったなら、助けてくれなかったのかしら。」

「ううん、そうだね。そうかもね。」

登山者は返事に困ったようでした。

「私は珍しい、天然記念物のりんどうで本当に良かったわ。もし、私が普通の植物だったら、今ごろ登山道の端で、登山者に踏みつぶされて、死んでいたでしょうからね。」

「さあ、それは僕にはわからないね。僕の願いは、この美しい山の自然を、そのまま残したいだけなんだ。」

そう言いながら、登山者はいろいろな方向から、私の写真を撮りました。その後、満足そうにして、山を降りて行きました。

 りんどうの側の背が低い植物がうめくように言いました。

「いて、て、て、て。あいつが俺を踏みつけやがった。何が自然を守るだ。俺だって、自然の一部なんだぞ。それを踏みつけて行きながら、自然を守なんて、よく言えたものだ。」

それを聞いたりんどうは、肩をすぼめて、うなだれて、弱々しい声で言いました。

「ごめんなさい。私のせいで、あなたをひどいめに合わせてしまって。」 

「いいってことよ。あんたが悪いんじゃあないんだから。人間が自分勝手なだけなんだ。でもあの兄さんは、まだいいほうだよ。」

 やがて雪が降り出しました。来年、またきれいな花を咲かせる夢を見ながら、りんどうは長い眠りにつきました。

 

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