ざりがに取り
初夏の太陽がぎらぎらと輝く午後の事でした。健ちゃんは準ちゃんと、放課後一緒に準ちゃんの家で遊ぶことを約束していました。学校が終わると、健ちゃんはランドセルを自分の部屋に放り込むようにして、自転車に乗って、準ちゃんの家に遊びに行きました。暫く準ちゃんと遊んでいたら、準ちゃんの兄ちゃんの明君が、
「おい、順。ざりがに取りに行くけど、一緒に行くか?」
と言いました。明君は真っ赤な大きなざりがにをたくさん飼っている、ざりがに取りの名人でした。準ちゃんは嬉しそうに立ち上がって、
「健ちゃんもいってもいい?」
と聞いてくれました。明君が
「いいよ。」
と言ってくれたので、健ちゃんも嬉しくなって、三人で自転車に乗って、ざりがに取りに出かけることになりました。
明君が大きな水槽を持って、先頭を走りました。その後に準ちゃんが短い竿に糸とするめの足をつけた物を持って続きました。最後に健ちゃんが二人の後に続きました。三人が住んでいる町を抜けると、田圃がずうっと広がっていました。しかし農薬のためだったのでしょうか、この田圃ではざりがにはもう取れませんでした。三人は凸凹道の農道を走り続けて、山の方へ入って行きました。
山の方に入った所に、小さな沼が有りました。この沼が明君の猟場でした。三人が到着すると、明君はすぐにざりがに釣りを始めました。水草の間に糸をたらして待っているだけです。健君と準君はそれを見守っていました。暫くすると、糸がぐいぐいと引かれ出しました。明君は慎重に糸を引き上げ、真っ赤なざりがにを一匹釣り上げました。草の上に落ちたざりがには、鋏をふりかざしていましたが、明君は難なくざりがにの背中を捕まえて、水槽に入れてしまいました。
二時間も釣っていると、水槽にはたくさんのざりがにが取れました。三人は意気揚々として帰り始めました。来たときと同じように、先頭を明君が獲物で一杯の水槽を持って走りました。その後を、釣竿を持った準君が走りました。最後に健君が追いかけました。
その帰り道、すぐに緩い坂が有りました。その坂を三人が勢い良く走り降りたときの事でした。健君は凸凹道の砂利に車輪を滑らせて、転んでしまいました。強く腰を打って、膝を擦りむいた健君は泣きだしてしまいました。既に明君と準君はずうっと先まで走って行ってましたが、健君の悲鳴と泣き声を聞いて、二人はあわてて引き返してきました。
明君が健君の上に乗っている自転車を引き起しながら言いました。
「大丈夫か?膝、怪我したんか?」
健君は泣いているだけでした。明君はてきぱきと健君の衣類の泥をはたき落とすと、柔らかそうな草の葉っぱを摘んで来て、健君の膝の血を綺麗に拭いてくれました。明君に助けられて健君は立ち上がりました。どうにか歩いて帰れそうでした。自転車はハンドルが曲がり、チェーンがはすれていました。明君は慣れた手つきでハンドルを戻すと、チェーンをギヤーにはめようとしましたが、チェーンがきつくてどうしても入りませんでした。明君は手を油で真っ黒にして、何回も何回もチェーンを戻そうとしました。その内に太陽は西の空に傾いて、夕闇が近ずいてきました。仕方なく、三人は自転車を押して帰ることにしました。
自転車で走れば何ともない距離でしたが、自転車を押して帰ると大変時間も掛かりましたし、疲れもきました。元気ずけに三人は夕焼け小焼けの歌や、いろいろな歌を歌いながら帰りましたが、町に近づいた頃には、辺りは既にすっかり日が暮れて、蛍が飛び交うのも見られました。健君は腰や膝が痛いのを我慢して、必死で自転車を押し続けました。明君はときどき振り返って、健君の様子を観察していました。明君の持っていた水槽のざりがには、余りに長いこと狭い水槽に入れていたために、全て死んでしまいました。そのため明君は水槽の中身をみんな道ばたに捨ててしまいました。
家につくと、お母さんが家から飛び出してきました。健ちゃんを見るとホット安心した様子でした。お母さんは明君や準君に何度も何度もお礼を言いました。
お母さんは膝の傷を赤ちんで消毒して綿花を当て、包帯を巻いてくれました。腰の痛いところには湿布の薬を塗ってくれました。その後、準君んのために遅い夕食を用意してくれました。健君は、ご飯を食べ始めるまで、お腹が空いているのをすっかり忘れていました。お母さんは、健君がむしゃむしゃと夢中でご飯を食べるのを見ながら、涙を拭いていました。