心の傷について体の傷との対比
心の傷と言うからには体にできた傷またはけがと対比できるはずである。ここではそのことについて述べてみたいと思います。もちろん心を絵で表せません。そこでハート型で示してみます。
まず、けがをする事を考えてみます。」この絵のように腕に傷を付ける物はナイフなどの刃物です。この刃物でけがをすると、傷つくと、傷から血液が流れ出て、痛みを感じます。それを心について考えてみます。心を傷つける物は侵害刺激、嫌悪刺激などと呼ばれる、その人の心にとっていやな物、特に恐怖を生じるような物です。刺激です。心にできた傷から流れ出る血液は、不適応行動です。たとえば登校拒否、人をいじめる、盗みなどの非行、引きこもり、自閉などです。なぜ不適応行動という曖昧な表現で表される人の行動が、心の傷から流れ出た血液に相当するのかという理由はここでは省略します。そして、心の傷のために感じる心の痛みとは自律神経の症状です。たとえば頭痛、腹痛、嘔気、動悸など、心の傷に特有な物ではありません。
次にけがをした後のことを考えてみます。体にできた傷はそれ自身でもうずくことはありますが、多くは外から何かで刺激されて痛みます。外から刺激すると痛むだけでなく、かさぶたがとれて出血します。それと同様なことが心の傷にも言えます。心の傷をうずかせるのは外から加わる刺激、恐怖を生じる条件刺激です。そして、恐怖を生じる条件刺激が加わると、体の傷の痛みに相当する自律神経の症状を出します。それと同時に、体の傷の出血に相当する、不適応行動を示します。ここで大切なことは、心の傷をうずかせる恐怖を生じる条件刺激についてです。恐怖を生じる条件刺激は普通の人では恐怖を生じません。心の傷を受けた人が、その心の傷を受けた際に、その人が学習した物であり、その人特有な物です。そのためにその人にも、周囲の人にも、そのものがその人の恐怖の条件刺激になっていることを理解することが大変に難しいことです。具体例としてお医者さん嫌いがあります。子供がお医者さんを見ると怖がることです。この場合かなりの人でお医者さん嫌いの経験がありますから、お医者さんが子供の恐怖の条件刺激になっていることを理解できると思います。ただ、現実には、お医者さん嫌いを単なる子供の示す成長過程の中での現象として捕らえる限り、子供の心の中で生じるお医者さん嫌いの意味がわからずじまいになってしまいます。
次に心の傷の治療について考えてみます。体の傷は自然に治るのを待つだけです。医者は事前に直るのを妨げる要素を取り除いているだけです。傷をきれいに消毒して包帯をします。心の傷の消毒はありません。心の傷も時間がたって自然に治るのを待つしかありません。ただし、なおるまでにかかる時間はとても長いです。心の傷の包帯は、周りの人の温かい思いやりです。人々の思いやりに守られて、心の傷が自然と治るのを待つしかありません。体の傷の際に投与する薬は、心の傷では楽しいことに夢中になり、没頭する事でしょう。
心の中には外から加わった刺激を処理してその反応をしめるまでの一連の流れがあります。それを体の中を流れる血液にたとえてみましょう。心に傷をつけると、その一連の心の流れが遮断されて、そこを流れていた血液は一部はあふれ出し、一部は別のところへ流れていって、いろいろな症状を出すと考えられます。それを登校拒否で考えてみましょう。学校という刺激を受けたとき、心の中の反応の流れは、学校へ行きたい、学校へ行こうという反応へたどり着きます。そこで、心に傷ができてこの反応の流れが遮断されたとき、心の流れは学校へ行こうと言うところへはたどり着きません。そこで学校へ行かなくなります。遮断された心の流れはあふれ出していろいろな不適応行動をしますと同時に、いろいろな自律神経の症状を出すことになります。