学校教育にEQ(EMOTIONAL QUALITY)の考え方の導入を

(IQとは知的能力です。EQとは情動の能力です。IQは大脳皮質に関する能力で、EQは大脳皮質と延髄との間にある、大脳辺縁系の能力です。情動はこの大脳辺縁系が司っています。情動は知能や意志を含めて大脳や体全体に大きな影響を与えますが、知能や意志はほとんど情動に影響を与えることができません。EQとは情動の質、及び知能による情動の調節能力です。この考え方はすでにアメリカでは取り入られています。)

 子供達の登校拒否やいじめ、非行、校内暴力が問題になって久しくなります。これらは教育関係者や一般の人々の間では、心に問題のある子供の事として、もっと心の教育をすべきだとの意見が叫ばれています。その一方で、日本を動かしてきた偉い人達、厚生省や大蔵省のトップの役人達の汚職や、経済界のトップの人達の汚い経済活動が明らかにされてきています。そこには知的能力だけ発達して、心が伴わなかった大人達の姿を見ることができます。知識と欲望だけを持って、日本の権力機構の頂点に立った人達の危険な一面が暴露されてきています。これらの事から私は現在の日本では、知識と経済だけを重要視して、心をないがしろにしてきた日本人の考え方を見つめなおして、もっと心の状態、情動について考えてみる必要があると感じています。

 今までの日本では、知的能力が備わった人は心、情動的能力も備わっていると考えられて、社会的に高い地位につくことができました。しかしそれが間違いであることは今までの官僚や経済人の汚職を見ただけでもわかります。一方子供達は、知的能力だけを高めることだけ要求されて、その情動は無視されているために、子供達の心は大変に荒廃しています。つまり今の日本では、情動に関する教育は全くなされていないと言えると思います。ただなされていることは、道徳教育、いわゆる心の教育、管理、であり、これらは知識に属し、決して情動そのものの教育ではありません。その結果として、大人も子供も知識としては善悪の区別はできますが、心の中では善悪も野放しの状態だと言えます。何かの折りに、問題行動が吹き出すように出てきます。それはどうしても知能では抑えきれなかった欲望や衝動がその個人を支配してしまうことがあることを示しています。

 人々の心の中では、優しさ、愛情などと一緒に利己的な欲望、怒り、不安、卑猥な心情が渦巻いています。そのこと自体は極普通のことです。ただ人間として生きるには、人間として好ましい情動を増やして、好ましくない情動を自分の意志で制御する訓練が必要です。お金のためや、法律で罰せられるから、命令されたから、自分の情動を制御するのではありません。人間としての自分の意志で情動を制御することです。それがEQなのです。それは決して教室で授業の一科目として教科書から勉強したのでは、頭には入っても、身につくものではありません。普段からの学習、訓練により身につくものです。家庭内や、地域での生活、学校内での生活、もちろんあらゆる科目の授業の中から、身についてくるものです。子供と親との関係、子供と先生との関係、子供と友達との関係、マスメディアを含めてあらゆる人との関係で身について行きます。

 青少年の衝動的暴力や非行は、情動が知能のコントロールなしに表面に現れたものです。それがために多くの子供達がその未来を失っています。これからの子供達の心の教育には、知識として心を教えるのではなく、直に子供達の心に教えるEQの考え方を導入する必要があると考えます。

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