辛い状態の子どもを支える大人の応援
序章 弱者とは
登校拒否、不登校、引きこもり、問題行動などを起こす辛い状態の子ども達を(心の)弱者と表現しておきます。この場合の弱者とは、人間社会の中で心が辛い立場にあるといういみで、決して悪いとか、劣っているとかの意味ではないです。辛い立場にあるから、親や大人たちから守られる必要があります。親や大人達が守る必要があるので、社会的な弱者という観点から、弱者と表現しています。繰り返しますが、決して悪いこと、劣っているという意味ではありません。
子どもはある状況下で大人とは違った反応や行動の仕方をします。その子どもへの対応の仕方には大きく分けて二通りの方法があります。積極的で元気な状態の(以下強者と表現)子どもには、今まで親や大人が持っている知識や経験から対応してよいです。辛い状態で元気のない(以下弱者と表現)子どもには、今の大人が知らない子ども特有の対応の仕方があります。弱者の子どもを守り育てるためには、弱者の子ども特有の対応の仕方を親や大人達は理解する必要があります。
辛い状態の子どもへの対応法は、辛い状態の幼稚園、小学校、中学校、高等学校の子どもに当てはまります。また元気な状態の子どもにも当てはめてうよいですが、子育てという観点から効率が悪くなります。元気な状態の子どもには大人が持っている常識で対応できますし、その方が子どもの能力をよりいっそう高めることができる場合があります。
辛い状態の子どもへの対応は子どもへの信頼から始まると言っても過言ではないです。親や大人が辛い状態の子どもを信頼するという意味です。ただし親や大人が辛い状態の子どもを信頼していると思っていても、子どもの方で信頼されていると感じない限り、子どもを信頼したことにはなりません。辛い状態の子どもへの対応は信頼です。常識が当てはまらない場合が多いです。親や大人は辛い状態の子どもを信頼しているつもりでいても、実際には常識から対応をしてしまい、辛い状態の子どもからは親や大人から信頼されていないと思われてしまう場合が多いです。辛い状態の子どもへの対応には非常識な対応が多いです。辛い状態の子どもへ具体的にどのように信頼を表現すのか、多くの大人は迷っています。ここでは辛い状態の子どもへの信頼とは何かについて述べてみます。
この場合の心とは一応常識的な心でよいです。一般社会で通用している心とは精神世界(精神身体二元論)をさします。私が子どもの心について提案をしているときの心とは子どもの脳の機能(精神身体一元論)です。その理由は、子どもでは精神世界という概念からの反応や行動がないからです。子どもの反応や行動は殆ど全て受けた刺激に素直に反応をしているからです。
辛いについても説明しておきます。辛い状態の子どもは現在の社会の中で理由もなく辛くなっているのではないです。他の人では何でもない物、場合によっては楽しく感じられる物で、辛くなる子どもでは、それを見たり意識するととても辛くなるのです(例えば不登校の子どもについて、学校が辛い刺激になっています)。この場合の辛さは現在の所脳の中で辛さができているという証拠はないです。辛い子どもではその子どもの情動(感情のような物)が働いて、消化器官や循環器官、呼吸器官などの体中の臓器に、異常な機能を呼び起こしています。その状態を子どもは五感で感じ取って、辛いと表現しています。
辛い状態の子どもは、自分を辛くする物から自分を避けることができない場合が多いです。その事実を親や大人が理解して、辛い状態の子どもを辛くする物から守る必要があります。子どもは自分を辛くする辛い刺激から守られると、つまり辛さが無くなると、子どもの本能として持っている脳内部からの自然発生的な行動の動機=心のエネルギーから、自分の置かれている環境に、社会に順応するように、子どもの方から動き出します。
子どもは受けた刺激に素直に反応しています。子どもが成長すると、思春期を過ぎると、脳の前頭前野が解剖学的に完成(完全に完成をするには20歳代の後半と言われています)をしてきて、大人と同じように意識的な、知識を用いた反応や行動が可能になります。しかしすぐにできるのではなく、前頭前野の機能を使うという経験にかなりの時間を要します。
前頭前野を大人のように機能させて反応や行動ができるようになるには、活動的で既に社会に順応している元気な子どもでも、早くても20歳前後です。辛い状態の子どもでは普段情動が主として働いていて、前頭前野が機能する経験が少ないので、20歳代の中頃から後半までかかります。そのためにも辛い状態の子どもでは、辛い刺激から子どもを守り、情動を安定させて、前頭前野の機能が働く機会を高めた方が、子どもが自立して社会に出て行くために良いです。
第一章 辛い状態の子どもと関わるときの原則
親や大人達が辛い状態の子ども達と関わるには、その子どもを理解するために、子どもの話を聞くことから始まります。その際の注意点を箇条書きにしておきます。
@子どもの話を制限時間なしに聞く。その際に共感のみを示して、大人の思いや判断を述べない。大人の理由を付けて理解しようとしない。
子どもは男の子でも、女の子でも自分の思いを信頼できる人に話したがります。話を聞き出沿うとする必要はありません。子どもに信頼感を与える一つの要素として、子どもの話を聞こうとする大人の態度が大切です。話を聞き出そうとすると、子どもは自分をガードしようとします。よい子を演じて素直に自分の思いを話そうとはしなくなります。また、子どもに自分の思いを素直に話して貰うには、子どもの思いを遮らないようにしなければなりません。そのために子どもの思いに共感だけを示して、聞いている大人の思いを出さないようにする必要があります。子どもは受けた刺激に素直に反応して行動していますから、そこには大人の考えるような理由はないです。ありのままの子どもの行動を子どもはそうせざるを得なかったという形で理解してください。
A子どもの話を聞く際に生じた無言の時間を大切にする。決して会話を促さない。親や大人が聞きたい話を聞き出そうとはしない。子どもから話してくるのを時間をかけて待つ
子どもは自分の思いを信頼できる人に話したがります。子どもが話すのを止めたらそれは話すことがなくなったのか、相手の大人を警戒して話すのを止めたのか、そのどちらかです。話すことがなくなったのに、会話を促されると子どもは責められたと感じます。また子どもが相手の大人を警戒しているときには、ますます警戒を強めてしまいます。子どもはよい子を演じて、子どもの思いを素直に話さなくなります。
B子どもの話や行動を考えるときに、全てに優先して子供が持つ子供特有の本能($2を参考)を基本にして考える
大人と違って子どもは受けた刺激に素直に反応して行動します。その反応の仕方は子どもが親からの遺伝として受け継いだもの(本能)、自我が成立するまで(3,4歳頃まで)に持って生まれた反応の仕方で、主としてまねをすることで母親から受け継いだもの、その子どもの年齢までに社会生活をして、親からの遺伝や主として母親から受け継いだものを用いて反応した結果の経験から反応しています。この事実から子どもが反応し行動する要因の一番の根底にある子どもの本能を最優先して考える必要があります。
C子どもの今の姿を肯定して、決して否定しない。子どもの生い立ち、性格や習性も問題点を指摘することなく、そのまま認める。
Bで指摘しましたように子どもの反応の仕方は親から遺伝として受け継いだ本能から、その本能を用いて主として母親から受け継いだもの、それらを用いて社会生活をした経験からできています。そこには子ども自身の意図はありません。遺伝と環境とでできあがっていて、子ども自身にはどうにもできないのです。それを否定されたら子どもは葛藤状態になり、とても辛くなり、回避行動を起こしてしまいます。子どもが身につけている反応の仕方を肯定されると、子どもは子どもの持っている本能から周囲に、社会に順応するように反応するようになります。つまり子どもの問題点を子ども自身が自分から解決してくれるのです。
D子どもの話や行動に問題点を感じたなら、子供がそのような問題点を持つようになる外因があると考える
子どもは周囲から受ける刺激に素直に反応して行動しています。一見子どもの意志のように見えるときもありますが、それすら今まで子ども自身が経験の中で作り上げてきた反応の仕方に沿って反射的に反応しているだけです。つまり普段から問題行動をしていない子どもが突然問題行動を起こすようになったなら、子どもが問題行動を起こさなくてはならない何かの刺激を受けてその結果問題行動をしてしまっていると考えられます。子どもには大人のような善悪などの価値判断を伴った意図的な行動はないです。子ども自身に問題があって子どもが問題行動を起こしたと考えたなら、その辛い子どもを守ることができなくなります。
それは問題行動ばかりでなく、子どもが出す病気を思わすような症状についてもおなじように考えられます。子どもには心の病はないです。子どもが心の病を思わせるような症状を出したときには、子どもがその病的な症状を出さなくてはならない何かの刺激をうけて、その結果病気を思わせるような症状を出していると考えられます。子どもに病気があると考えると子どもを病院に連れて行くことになります。医者は病気の症状があると病気だと診断してしまいます。医者が病気だというと親や大人はその子どもが病気だと信じ込んでしまって、その子どもが苦しんでいる原因が見えなくなってしまいます。その子どもが病気の症状を出すほど辛い状態にあることがわからなくなり、その辛い子どもを守ることができなくなります。
第二章 子どもが持つ本能
子どもは大人と違って、第一に子どもの持つ本能から、第二に母親との関わり合いの中で母親の反応をまねて、第三に自分の本能からと母親をまねた結果から、それらを使って社会生活をしてその経験から、反応したり行動したるします。子どもの心を考えるときには、この子どもの持つ本能を第一に考えていく必要があります。子どもは大人と違って、子ども特有の本能を持っています。その子ども特有の本能があるので、大人には子どもをなかなか理解できないのです。大人が子どもになったつもりで子どものことを考えても、自分が子どもだったときのことを思い出して考えても、それは依然として大人の考えであり、子どもの感じ方、反応の仕方、行動の仕方ではないです。子どもの本能を箇条書きにしてみます。
@「成長する(母親に信頼されている必要 )」
A「与えられた環境に順応しようとする」
子どもが心身共に成長段階にあることはどの人も認めるところです。ただし放っておいても食べ物さえあれば一応体は育ちますが、心は育ちません。子どもの体と心が素直に育つには子どもが母親だと信頼する大人が必要です。子どもは信頼する母親に守られていると、子どもは本能的に自分自身が属している環境に順応するように、体も心も育っていきます。
B「自然に湧き出すエネルギーが大きい」
C「新しいもの(刺激)を求める(子どもの集団を好む)」
D「刺激に素直に、精一杯、反応して行動する」
大人は何も刺激がないと、じっとしていれます。子どもは何も刺激がないと、何かを求めて動き出します。子どもは大人と違ってじっとしていれないです。絶えず何かを求めて動き回っています。その何かを求めて動き回ることをエネルギーがあると表現します。心についてのエネルギーとは、何かを求めて何かをしようとする動機を言います。子どもの場合子どもの内部発生的なエネルギーがあります。それが大人との違いの一つです。
子どもは何かを求めて絶えず動き回っています。その求めている物は子どもにとって目新しい物です。すでに見慣れた物は子どもにとって刺激となっていないからです。そして何か目新しい物があったときには、その目新しい物に全力を挙げて挑戦していきます。そして新しい経験をしていきます。子どもなりの成長をしていきます。
E「優しい。特に、母親が喜ぶのが好き」
子どもは自分の母親が大好きです。自分の母親に優しいです。自分の母親が喜ぶのが大好きです。子どもは自分の母親が喜ぶようにその子どものできる範囲で行動しようとします。自分の母親が喜ぶように行動を繰り返すことで、その子どもなりの性格を作っていきます。母親が喜ぶように行動をすることは、子どもは他の兄弟姉妹にも優しいことを意味しています。母親がそれを求めているからです。いくら兄弟姉妹の間でけんかをしても、基本的にはとても兄弟姉妹に優しいです。対外的にそして母親に何か問題を生じると兄弟姉妹は団結して兄弟姉妹や母親を守ろうとします。
第三章 子どもの心に沿って考えるとは
大人は主として思考からと、それまでその大人が経験したことを基に行動しています。子どもは第一に子どもの持つ本能(心という意味では情動に属します)から、第二に既に母親を真似することで学習した情動行動から、第三にその子どもがそれまでに経験したことから、反射的に反応して行動します。大人のような思考行動はほとんどありません。ですから子どもの心を理解しようとするなら、第一に子どもの本能に沿って、第二に子どもが既に学習した情動行動に沿って、そして第三に子どもがそのときまでに学んだ経験に沿って考える必要があります。
子どもはそのときまでに学んだ経験に反して行動することはできます。しかし本能や情動に逆らって行動することは基本的にできません。子どもの本能や情動に逆らった行動を求められたときには、子どもは大変に辛い状態になります。子どもの本能や情動に逆らった行動を求めるには、その辛さの代償として子どもにその辛さ以上の大きな喜び刺激(それをご褒美と表現しておきます)を与える必要があります。
そこで「第二章の子どもの本能」に沿って考えてみます。
A「与えられた環境に順応しようとする」は、子どもは失敗があるかも知れないけれど、決して自分からは悪いことをしないと言う意味になります。自分の家庭、自分の学校、自分が属する社会、自分が属する国や文化に順応するように成長します。ですから、子どもが自分の家庭、学校、社会、国や文化に対して問題行動を起こしたなら、それは子どもに何か辛い刺激が加わっていて子どもが素直に成長できない状態にあると考えられます。
B「自然に湧き出すエネルギーが大きい」とは、子どもは大人のように何もしないでじっとしていれないです。一人にしておいても何かをしだすと言う意味になります。何もすることがなくて退屈になると、自分で何か遊びや目的を作って動きまわります。その遊びに退屈すると次の遊びや目的を求めてもっと動き回ります。
C「新しいもの(刺激)を求める」とは、子どもは新しい物を回避することもありますが、多くの新しい物に興味を持ち、新しい経験をどんどんしようとします。それは子どもには必ず進歩があることになります。子どもは新しい物に出くわすと、その新しいことは今まで経験していませんから、当然その反応の仕方に習慣化していません。その新しいことについて大人では想像もできないようなことをして克服したりします。失敗も多くします。その失敗を重ねて、子どもはその新しい経験を上手にこなすようになります。そのようにして子どもが身につけた反応の仕方や生き方はその子ども特有な物ですから、親の価値観と違って良いということになります。
E「優しい。特に、母親が喜ぶのが好き」とは、子どもは特に教育しなくても、子どもの方から親が喜ぶことをすることになります。子どもと母親の間に信頼関係がしっかりとできている限り、子どもについて母親は基本的にしつけをしたり、勉強を要求する必要がないです。子どもの方から母親が喜ぶ行為をするからです。
D「子どもは刺激に素直に、精一杯、反応して行動する」とは、子どもには怠けやずるはありません。子どもはその瞬間瞬間について、受けた刺激にめいっぱいのことをして反応しています。それは結果的に子どもはその瞬間瞬間をその子どもなりに精一杯のことをして過ごしている、能力の限りのことをして反応しているという意味にもなります。
その行動の仕方は刺激に反射的な反応です。子どもには意識的な行動ができないか大変に下手ですから、大人が子どもに「何かするときにはもっと考えて行動しなさい」と言っても、それは子どもにとって無理なことになります。子どもは教えられた知識からの行動がとても難しいです。子どもは理屈や理性から行動できないです。親や大人の思うように動けないです。
第四章 刺激への反応の仕方
動物は体内外の状況を感覚器で感じ取って、その感じ取った情報について反応して行動します。感覚器で感じ取れる体内外の状況を刺激といいます。その刺激について子どもは大人と違って子ども特有の反応の仕方をします。子どもは刺激を受けると、その刺激に子どもの持つ本能や、子どもの持つ情動や、それまでに子どもが経験したやり方で、反射的に反応して行動しています。大人にも子どもと同じような反射的に反応して行う行動がたくさんありますが、意識に上らないので気づきません。大人は刺激を認識して、意識的に反応したことだけを覚えています。大人は子どもも刺激を認識して、意識的に反応できると考えています。子どもには難しいかできないことを子どもにもできると信じ込んでいますから、大人は子どもの心がわからないのです。大人の思いを子どもに押しつけようとしています。
子どもは刺激に素直に反応して行動します。子どもが刺激を受けた場合、その刺激を求めて子どもなりに納得しようとする場合と、その刺激から逃げようとする場合があります。またある人には刺激でも、その子どもには無反応な刺激もあります。そのような無反応の刺激の場合は、その子どもにとって刺激とは言わないです。
子どもが刺激を受けて、その刺激を求めて納得しようとする行動には発展性があります。その刺激を求めてその子どもなりに納得できたなら、子どもは次の刺激を求めて行動するからです。その刺激が求めて納得できないときには、その子どもなりの工夫をしてその刺激を求めてその子どもなりに納得しようとしますから、その子どもなりの納得しようとする工夫が子どもの知識となり、子どもの能力を高めます。
子どもにとって辛い刺激を受けたときについて考えてみます。子どもはまずその辛い刺激から逃げ出そうとします。その辛い刺激から逃げられたら子どもの心が傷つく(恐怖の条件刺激を学習する)ことはありません。その辛い刺激から子どもが逃げられないときには、子どもは暴れたり、大人から見て問題行動を取ります。子どもが辛い刺激から逃げられなくて、また暴れられないときには、子どもは辛い病気の症状を出します。これらの子どもが辛い刺激について示す反応はほ乳類の動物と共通です。
子どもにとって辛い刺激が大人からもたらされるとき、そしてその大人からその子どもが逃げられないとき、子どもはいわゆるよい子を演じます。よい子を演じるとは、大人から辛い刺激を受けたとき、その子どもらしい反応からの行動をしないで、辛い刺激を与える大人の希望に添って行動をすることをいいます。一見意識的な行動のように見えますが、子どもがそれまでに学習した行動を回避行動として、無意識に行っています。大人から見たら好ましい行動をするので、その大人はその子どもに良いことをしていると判断しますが、子どもは無理をしてよい子の行動をしています。その無理をその大人がいなくなったときに子どもは何かの形で埋め合わせようとします。何かの形で埋め合わせようとするとき、その子どもは自分に辛い刺激を与えた大人の嫌がるような行動をする場合が多いです。社会的に問題になるような行動になってしまう場合もあります。
子どもの反応の仕方を子どもの辛さの程度に沿って順番にまとめます。子どもが辛くなるとまずその辛さから逃げようとします。逃げられないときにはよい子を演じます。逃げられなくて、よい子を演じていたのによい子も演じられなくなると、子どもは暴れたり、問題行動を起こすようになります。逃げられなくて、よい子を演じられなくなって、暴れたり問題行動もできないときには、子どもはいわゆる自律神経症状を出します。それでも辛さが解消できないときには精神症状を出します。
子どもがよい子を演じている段階では、大人は子どもが辛い状態にあると気づきません。それどころか子どもが好ましい状態にあると判断する場合が多いです。子どもがよい子を演じていて、それ以上よい子を演じられなくなって、子どもが暴れたり問題行動を起こした段階で大人は子どもの異常に気づきます。多くの大人は暴れる子どもが問題だ、問題行動を起こした子どもに問題があると考えます。子どもが辛くて、その辛さから逃げられなくて、よい子も演じられなくなって、どうにもできなくて暴れたのだと、問題行動を起こしたのだとは考えません。
大人の力が強くて子どもが暴れられない場合、子どもの性格から問題行動をできない場合、子どもは頭痛や腹痛などの自律神経の症状を出します。この場合も多くの大人は子どもが辛い状態にあるとは考えません。子どもが病気ではないかと考えて子どもを病院に連れて行きます。この段階ですと医者も子どもが病気でないことに気づくことが多いです。子どもがもっと辛くなってしまうと、この自律神経の症状と一緒に気分が落ち込んで鬱状態になるとか、見えない物が見えたり、聞こえない音が聞こえたりするようになります。この状態になると医者も精神病だと誤診するようになります。親が子どもの辛い状態を心の病だと理解したときには、子どもを辛くしている刺激から子どもを守ろうとしないで、医者の言う病気を一生懸命治そうとします。それは子どもの訴えとは異なったことになり、ますます子どもは辛くなり病気の症状を強くしていきます。子どもを守ることができなくなります。
第五章 子どもの行動の動機
子どもの行動は内的な欲求から起こす行動と、受けた刺激に反応して起こす行動とがあります。子どもの場合大人と同じような思考活動からの行動はほとんどみられません。特に辛い状態にある(弱者の)子どもの場合、子どもの行動のほとんどすべての行動が受けた刺激に反応して起こしていると考えて間違いありません。
子どもは言葉を話しますが、その心はとても動物の心に近いです。刺激を受けたときの子どもの行動も動物の行動から得られた知識で理解が可能です。子どもがある刺激を受けたとき、その刺激を求めようとするかその刺激から逃げようとするか、またその行動の強さはどうなるかを式で示してみます。
「子どもの行動の動機の強さ」とは
「刺激が持つ魅力」引く「刺激が持つ辛さ」
足す「過去の経験」
足す「大人の期待(母親、父親、その他の大人)」
受けた刺激に子どもがその時点で強い魅力を感じているときにはその刺激に近づいていき、その刺激を得てその子どもなりに納得しようとします。例えばお菓子のような物を考えてください。受けた刺激が子どもに辛さを与える物でしたら、子どもはその刺激から逃げようとします。例えば蛇のような物を考えてください。子どもにとって魅力的な刺激であり、また同時に辛い刺激という物があります。例えば不登校の子どもについての学校です。学校は子どもにとってとても魅力的な物です。けれど不登校の子どもは学校を見たり意識したりするととても辛くなります。不登校の子どもは学校という刺激が魅力以上に辛いから学校に行こうとしません。
子どもが過去にその刺激に対してどのような反応仕方をしたかという経験を意識はしないけれど思い出して行動しようともします。例えばお風呂に入るときに、子どもはすぐに真っ裸になります。当たり前といえば当たり前ですが、風呂にはいるときにはいつも裸になっていたから、子どもは裸になって風呂に入ります。不登校の子どもについては、学校が辛くなっていますから学校に行けないのですが、今まで毎朝学校に行く習慣を身につけていますから、学校が辛くても学校に行こうとします。
子どもが刺激を受けたとき、その刺激について自分に影響を与える大人の思いや期待を感じて行動しようとします。例えば子どもが手伝いをしたとき、その手伝いを褒められるとそれ以後ますますその手伝いをするようになります。不登校の子どもは学校が辛くて学校には行けないのですが、親が学校に行って欲しいと願っている思いを感じ取って、無理をして学校に行こうとします。このようなとき子どもへの影響の大きさで一番大きいのは母親です。父親は母親と比べてずっと影響が少ないですが、辛い状態の子どもは受けた刺激によって父親に強制力を持った圧力を感じる場合があります。実際には強制されていないのですが、子どもは強制されているように感じてしまいます。その他の大人は子どもにはそれほどの影響を与えませんが、既に人について辛い思いを感じるようになった子どもは、その他の大人についても影響を強く受けるようになります。学校の先生はその他の大人に属しますが、母親を通して子どもに影響を強く与えます。
第六章 心の仕組み
大昔から人は心についていろいろな思いを持ってきました。現在では人が主観的に意識経験できる領域を心(精神)といっています。人には心があって(人間以外の動植物や無生物までに心の存在を信じている人がいます)その心が脳に作用を及ぼして人は反応したり行動したりしていると考えられています。人の意識活動そのものがその人の心(精神世界)だと信じられています。大人は意識的に行動が可能ですから、このような考え方が定着しています。意識活動の範囲(精神世界)が心であり、意識活動以外の人の反応の仕方(潜在意識)は人が持つ習性として理解しています。
大人は自分たちが持っている心の概念を子どもに当てはめて、子どもの心を理解しようとしています。しかし大人の持っている心の概念を修正して子どもに当てはめても、その大人の持っている心の概念で子どもの心を説明するには大変に難しいです。それでも多くの大人は子どもの心を理解したつもりで子どもに関わっていますし、問題行動を起こした子どもたちへもこの大人の心からの対応法を子どもに押しつけて、子どもたちをますます苦しめています。
子どもには大人のような思考判断や思考行動はないか大変に難しいです。子どもは受けた刺激に単純に反応しているだけです。一見大人がする思考行動のような反応をする場合がありますが、それもその子どもがそのときまでに経験した反応の仕方を繰り返したにすぎません。子どもが受けた刺激を処理して反応する方法を決定するところは子どもの脳です。ですから子どもの心を理解したいなら、その子どもの脳の中にある情報と脳の働き方を理解して考える必要があります。子どもの場合の心とは脳の機能と考えられます。脳の中にある情報と脳の働き方を考えるとき、脳は大きく四つに分けられます。
情動の心(大脳辺縁系)
受けた刺激に対して生命を守るための脳です。その反応は不随意筋や自律神経、ホルモンに影響を与えます。表情やとっさの行動は情動の心からの反応である場合が多いです。感情として理解される物は情動反応の一つです。生まれてから自我が成立する三四歳ぐらいまでに、主として母親をまねすることでできあがっていきます。それを超えると情動の心の中の情報を変えることは大変に難しいです。子どもについて、情動の心ができあがってから情動の心にある情報が変更されてしまう場合とは、恐怖を生じる条件刺激を学習した場合だけのようです。情動の心の情報は大きく分けて接近系と回避系に分けて考えることが可能です。
知識の心(感覚連合野)
必要に応じて言葉(音を含む)や文字(絵を含む)で表現できる記憶(陳述記憶、宣言的記憶)が蓄えられています。学校の勉強や経験で得た知識が蓄えられています。学校の勉強は主としてこの心の情報を増やすことを目的にしています。当然子どもは大人に比べてこの心の情報が少ないです。
反応の心(運動連合野)
刺激を受けたときの刺激によって体がどのように反応するのかその反応の仕方の情報が蓄えられています。体の動かし方の情報は経験で増えていきますが、子どもでもかなり大人に近い情報量を持っているように思われます。子どもと大人との違いは主として反応の心の情報を表現する骨格の大きさや筋力の違いから生じているように思われます。反応の心にある情報は子どもの場合、反射や情動により表出されます。大人のような意識的に表出されることはまずないと考えて間違いないです。
思考の心(前頭前野)
いくつかの陳述記憶を加工して新たな情報を作り記憶するとともに、反応の心にある反応の仕方と結びつけて(思考活動)、実際に反応するための脳です。大人の脳と子どもの脳との大きな違いはこの思考の心にあります。子どもではこの脳が十分に機能していません。子どもでは既に知識の心にある情報と反応の心にある情報とが結びついている(連合している)情報は、知識の心の情報から反応が可能ですが、知識の心にある情報を加工したり、知識の心にある情報を新たに反応の心にある情報と結びつけることはできません。それができるようになるには前頭前野の成熟を待って前頭前野を思考活動に使う練習をする必要があります。前頭前野の成熟は思春期を超えた頃になるようです。成熟した前頭前野を用いて思考活動を繰り返し練習することで、大人としての思考が可能になってきます。それは早くても二十歳過ぎ、遅い人では二十歳代の後半になる場合もあります。
元気な子供(情動の心において接近系が強く働いている子供)は大人の思いを押しつけても、その大人の思いを子供は受け入れて成長してくれます。よい子を演じていても、その辛さ以上の喜びを得ていますから、子どもはよい子を演じ続けられます。(元気な状態の子どもの論理、強者の論理)
辛い状態の子供(情動の心において回避系が強く働いている子供)には大人の思いを押しつけたら、子供はますます回避行動を強くして、接近系の行動が出てこなくなります。回避行動を起こすような子どもに、その子供を辛くする刺激をさけて、その子供の自然発生的な意欲がわいてくるようにすること(心のエネルギー)を大切にする必要があります。(辛い状態の子どもの論理、弱者の論理)
第七章 大人とは違う子どもの心の特徴
大人は思考の心で情動の心を抑えつけたり調節したりして、つまり意識的に感情を抑えて、その時まで持っていた知識の心の中の情報を加工して、その加工した知識を用いて(いろいろと思案して分析した結果から)反応の心の中の情報を選んで(行動の仕方を考えて)行動を行うことができます。それ故に思考の心で情動の心を抑えられない人は感情的とか、子供っぽいと感じられる大人になります。思考の心で情動の心を上手に抑えられる人は理性的とかしっかりした大人として理解されます。
子どもの場合、思考の心で情動の心を調節できません。また思考活動も下手で、反応の心にある情報と結びついていない(連合していない)知識の心にある情報から行動ができません。子どもは受けた刺激と結びついた反応の心にある情報から(刺激に連合した反応の仕方から)反射的に行動する(過去の経験と同じように行動する)か、受けた刺激から生じる情動と結びついた反応の心の情報(感情的な行動)から反応して行動をします。
元気な状態の子どもの子供であろうと、辛い状態の子供であろうと、その両方の要素を持った子供であろうと、子供の心に沿った対応をするには、子供の心を子供の心に沿って(子どもが持っている脳の機能や脳内の情報に沿って)理解する必要があります。具体的な子供の心に沿った対応はその子供によって異なります。
子供の持つ四つの心についての特徴を記載しておきます。
情動の心は既に大人と同じ機能をしています。情動の心の状態が子供の心の状態を決める大きな要素であることが、大人との違いです。情動の心により受けた刺激に対して反応が決まることが多いからです。受けた刺激は情動で処理されて、過去の経験からその反応が反応の心の中から選択されて表出され、実際の行動になります。一見子供の思考反応のように思われるますが、情動反応からの反応と行動です。
大人に比べて子供は知識の心の情報が少ないです。それは経験量が大人に比べて子どもは少ないからであり、大人は理解できる事実です。この知識の心の情報を増やすために、子供は学校で勉強をすることを要求されています。
反応の心の情報が大人に比べて子供は少ないです。それも子供の経験量が大人に比べて少ないからです。けれど子供を観察する限り、子供は大人に近い反応の心の情報量を持っています。ただし反応の心の情報を表現するための体力が大人に比べて劣っているから、大人のような表現ができないように感じています。子供によっては、ときに大人に近い能力を持っている場合がありますし、大人以上の能力を発揮する場合もあります。
思考の心は子供では働いていないか働きが悪いと考えられます。この思考の心の機能が大人の心との大きな違いと考えると、子供の行動や反応をよく説明できます。また子供が思考の心から反応して行動したように見える場合もありますが、その行動ですら同一環境下での子どもの経験が選択されただけであり、それがあたかも思考のように理解される場合です。
第八章 成長とは
大人と違って、子どもは日々成長しています。20歳代でも脳はまだ成長していると考えられています。具体的な成長を箇条書きにしてみます。
身体的な成長、体力を増やす
知識の心(記憶)、反応の心(上手になる)の情報量を増やす。
知識の心の情報と反応の心の情報を連合させる(経験をする、経験させる)
情動の心(子供の本心)が情報の心と反応の心を結びつける結び付け方(情操教育)を確立させる
子どもでは知識の心の中の情報を増やすことはできます。また反応の心の中の情報を増やすこともできます。けれど大人と違って子どもは思考の心が情報の心と反応の心を結びつけることができないか難しいです。つまり子どもでは考えただけ、思い出しただけでは行動ができません。考えたり思い出したりして行動するためには、そのための経験や練習が必要です。大人では考えたり思いついただけで行動ができるから、子どももそれができると考えがちです。子どもに無理な要求をしがちになります。
第九章 情動とは
子どもの心を理解するには、情動という脳の機能を理解する必要があります。情動の心には”接近系”と”回避系”があります。それはとても抽象的な概念ですが、以下のように考えてください。
接近系
何かを得ようとする行動であり、その何かを求める度合いをエネルギー、動機といいます。主として接近系が働いている子供を元気な子供、エネルギーがある子供と評価します。
回避系
何かから逃げようとする行動です。その逃げようとする行動を回避行動といいます。回避行動そのものは基本的に本能的な行動です。嫌悪刺激を受けたときどのような回避行動を取るのか、それは経験に依存しています。その回避行動にいくら物理的なエネルギーを使っても、その状態を心の意味でのエネルギーがあるとは言いません。それは単なる反応であり、一時的な回避行動であり、将来子供の能力を伸ばす行動を生じる動機ではないからです。破壊的であり、建設的な発展性が無いからです。
情動は絶えず接近系ばかり、絶えず回避系ばかり働いているのではないです。瞬間、瞬間で接近系が働いたり回避系が働いたり、どちらも働いていない場合があります。総和として接近系が働いているか回避系が働いているかという事実がとても大切です。
第十章 元気な状態の子ども、辛い状態の子ども
大人の目から見た子どもの姿を大きく二つのグループに分けることができます。
一つのグループは元気な、大人の常識から見て子どもらしい(元気な状態の)子どものグループです。自発的に活動し、積極的に何かを求めて、与えられた環境に順応しながら成長していく子ども達です。現在の大人が持っている常識的な子育て(元気な状態の子どもの論理、強者の論理)が可能な子ども達です。
もう一つのグループは元気がない、心が辛い状態(辛い状態の子ども)の子どものグループです。何かから逃げようとしても逃げられなくて動けなくなっている子ども達です。現在の大人が持っている常識的な子育てをしたらかえって辛くなり、問題行動を起こしてしまう子ども達です。辛い状態の子ども達は大人達によって守られる必要があります。大人達、特に親によって守られて、その子どもの本心(情動の心)に沿った対応を受けて、その子どもなりの成長を認められる必要(辛い子どもの論理、弱者の論理)があります。辛い状態の子ども達はその子どもなりの成長が認められて、元気な状態の子どもに変わっていけます。元気な大人として社会に出て行けます。
大人から見た子どもの姿を大きく二つのグループに概念的に分類しました。けれど実際は元気な状態の子ども、辛い状態の子どもとはっきりと分けられない場合があります。元気な状態の子どもの要素も持ち、それでいて辛い状態の子どもの要素も持った子供達がいます。このような子どもは辛い状態の子どもとして対応をした方が子どもをそれ以上その子どもを辛い状態の子どもにすることなく、元気な状態の子どもに変わってもらうことができます。
いわゆるよい子を演じている子ども達がいます。大人の目から見たら元気な状態の子どもに見えますが、それは子どもが自分の辛さから逃れるために大人の前では元気な状態の子どもの姿を演じているのであり、心の中は辛い状態の子どもです。よい子を演じている子どもと気づかないで、よい子を演じている子どもに元気な状態の子どもの論理からの対応を行うと、よい子を演じている子どもは大人のいないところで問題行動を起こすようになります。だんだんよい子を演じられなくなって、辛い状態の子どもになってしまいます。
第十一章 子どもから見た大人とは
親以外の大人、例えば祖父母、親戚、教師、塾の教師、習い事の教師、近所の人、友達、その他の人について、子どもがどのように感じ反応するかを考えてみます。多くの子どもを観察してみますと、子どもは自分の親以外の人は単に自分を取り巻く人的な環境として反応しています。そこには子どもが母親に求めるような癒しの要素はありません。
子どもの母親以外の大人がその子どもの親や母親の積もりになって対応をしてみても、自分の母親が存在しているかぎり、子どもは母親以外の人を母親として認めようとはしません。しかし子どもの母親が母親の機能をしていないときには、子どもは他の大人に母親の機能を求めます。
学校の先生が子どもの親や母親になったつもりでクラスの生徒の対応をしても、子どもは自分の母親がいるかぎり母親とは認めません。ただし先生の場合、子どもは先生の後ろに母親の姿を見ています。子どもが先生と関わった結果は母親に伝えられ評価されますから、子どもは先生に特別な反応、よい子を演じる場合が多いです。
父親が子どもに及ぼす影響はとても大きいです。元気な状態の子どもは父親から大きなエネルギーをもらって、子どもが飛躍できるようになることができます。辛い状態の子どもは父親から強い恐怖を感じます。父親が辛い状態の子どもには大きな重石のような影響を与えて、子どもを辛くして動けなくすることが多いです。基本的に辛い状態の子どもは父親を回避しようとします。辛い状態の子どもについては、父親は基本的に関わらない方がよいし、その姿すら見せない方がよい場合が多いです。
母親が子どもの体や心の成長に及ぼす影響はとても大きいです。特に辛い状態の子どもでは母親しかその辛い心を癒すことができません。辛い状態の子どもは母親に守られて、母親に癒されて、エネルギーを貯めていき、元気な状態の子どもに変わっていけます。母親がいない辛い状態の子どもについては、その子どもが自分の母親と認識する大人が必要どうしても必要になります。
第十二章 大人の関わり
元気な状態の子どもの子供への大人の関わりは、大人の良心から、大人の常識から対応をしてよいです。しかし現在の大人は辛い状態の子どもの概念を持っていません。辛い状態の子どもへの対応を大人の良心や常識から対応したときには辛い状態の子どもの子供が大変に辛くなる場合があります。辛い状態の子どもへの対応を大人の良心から、大人の常識から対応したときに、その大人の対応に答えてくれる辛い状態の子どもの子供もいますが、それはその子供がよい子を演じているのであり、いずれよい子を演じる限界がきて、辛い状態の子供が大変に辛くなります。辛い状態の子供への対応は、辛い状態の子供が対応する大人をどのように受け止めて反応するのかを考えて対応をする必要があります。
親以外の大人を辛い状態の子供は単に自分を取り巻く環境としてしか受け止めません。親以外の大人が辛い状態の子供に関わるときには、基本的に恐怖刺激についての回避行動と同じような反応の仕方をします。現在辛い状態の子供への理解の仕方をほとんどの大人は知りませんから、大人が辛い状態の子供への常識的な対応をすることはやむを得ないですし、その大人の対応に対して子供が回避行動を取ることもやむを得ないことでしょう。今後辛い状態の子どもへの対応をしようとする大人は、少なくとも辛い状態の子供の存在、向かい合っている子供が辛い状態の子どもである可能性を配慮した対応をする必要があります。
辛い状態の子供が持つ父親についての感じ方は、ほとんど全ての例で辛い状態の子ども自身を責める存在として感じています。それはほとんど全ての父親が社会で経済活動をしていますから、その経済活動は大人の常識だけから成り立っていますから、その経済活動の常識を家庭に持ち込んで子供と向かい合おうとしているからです。そのような父親の立場を変えることは大変に難しいです。ですから私たち辛い状態の子供に対応している者からのお願いとして、父親には辛い状態の子供への対応をあきらめてもらって、家庭外の悪影響から家庭を守る役割をお願いします。母親に辛い状態の子どもの論理(母性)が働くようにする環境作りに協力してもらっています。
母親だけが辛い状態の子どもに直接関われる大人です。子供も母親だけに自分の問題の解決を求めています。それ故に辛い状態の子供の問題を解決するには母親の子どもの心に沿った対応が要求されますし、また母親はそれを行う能力を持っています。それを母性といいます。母性の存在を強調するとそれは性差別だと判断する人も多いようです。しかし辛い子どもの心に沿った対応を理性で考えて行っても辛い子どもはますます辛くなる現実があります。辛い子どもへの対応を、母親が常識を捨てて母親の中からわき出す感情で対応をしたとき、辛い子どもが少しずつ元気を出してくるという現実があります。
辛い状態の子どもには母親が常識を捨てて、母親が子どもに感じる思いに素直に反応する必要があります。現在の常識は元気のある子どもには当てはまりますが、辛い状態の子どもには当てはまらないからです。つまり辛い状態の子どもの心に沿うには、生物としての子どもの心に沿った対応をする必要があります。人間の母親には生物としての子どもの心に沿って対応できる能力を持っています。
その母親の生物としての子どもの心に沿った対応を可能にする能力を十分に発揮させるには、辛い状態の子供を持つ母親はあらゆる常識や母親の持つ知識を捨てる必要があります。そうすれば他の人から見たらとても好ましくない辛い状態の子供を信頼できて、母親の全てをなげうって子どもを守ろうとする対応が自然とできてくるようになります。その母親の子どもを守ろうとする対応を観察していると以下の三点にまとめられます。
子どもを辛くする物から先回りをして守る
子どもの要求(本能をふくめて)を100%かなえる
子どもの要求以外のことをしない
辛い子どもの立場から母親に求めている物を観察してまとめてみます。第一に辛い状態の子どもは母親に自分を辛くする物から守ってもらうことを要求しています。次に子どもは辛い自分の心を癒す対応を母親に要求します。子どもは自分の要求がすぐに100%満たされると、母親を信頼しようとします。自分で自分の問題を解決しようとする動きが出てきます。100%以下の対応だと母親に不信感を持つようになります。母親に怒りをぶつけるようになります。100%以上の対応だと、先回りをした対応があると、子どもは自分から自分の問題を解決しようとしなくなります。母親に依存を始めて、いわゆる甘えの状態になります。
辛い子どもは、母親が子どもを辛くする物から子どもを守り、子どもの要求を100%かなえてくれるなら、子どもの心はとても楽になり、母親の存在をそれほど必要としなくなります。辛い状態の子どもがこの段階になったとき、母親は積極的に子どもから離れた方が、子どものためにも母親のためにも良いです。子どもは自分の中にたまったエネルギーからその子どもなりに心の成長を始めているし、その成長をどんどん伸ばして行けるからです。
辛い状態の子どもがこの段階になると、母親は子どもを辛くする物から子どもを守る要領も不完全ながら心得られてきています。子どもの要求を100%かなえる要領も不完全ながら心得られてきています。完璧が必要ないことは経験すればすぐにわかります。子どもは母親にとても優しいから、少しぐらいの母親の失敗を許してくれるからです。
これらのことをふまえて、子どもが少しでもエネルギーを蓄えてその子どもなりの動きが出てきたときには、母親は 「見ない、言わない、笑顔」 を守るだけでよいです。「見ない」とは必要ない限り子どもを見ないという意味です。母親は積極的に家の外で母親なりに楽しみを見つけてください。「言わない」とは子どもの質問に対する答え以外には言わないという意味です。子どもとの会話が全くなくても大丈夫です。心が通じていますから。「笑顔」とは母親が絶えず笑顔で家の中にいるという意味です。母親の笑顔は子どもの全てを母親が認めていると子どもが本能的に判断するからです。
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