僕はお母さんを見たよ 須藤 透留

 

 僕はお父さんと二人で暮らしています。僕のお母さんは、僕が未だよちよち歩きの頃、大変重い病気に罹り、死んでしまいました。ですから、僕は写真でしか、僕のお母さんを知りません。

 僕が小学三年生の時のことでした。僕が親友の友君と連れだって、学校から帰るところでした。残暑の続いていた、昼下がりのことでした。学校の近くの坂道を上っていた時、前方に女の人が立っていました。僕はその女の人を見て、はっとしました。その女の人は、僕が写真で見た母さんにそっくりだったのです。

 僕は立ち止まって、その女の人を見つめていました。僕が立ち止まったのに気づいて、友君も立ち止まり、不思議そうな顔をして、僕を見ました。僕が前方の女の人を見ていることに気づいた友君は、

「健ちゃん、何、見てるの?」

と、僕に尋ねました。僕は

「僕の母さんにそっくり。」

と、女の人を見つめながら答えました。その時、女の人が

「健ちゃん。」

と、言って、僕を手招きしました。

「やっぱ、僕の母ちゃんだ。友ちゃん、先に帰ってて。僕、母ちゃんに会ってくる。」

僕はその女の人の所へ駈けていきました。僕の背後で友君が

「健ちゃん、健ちゃん、どこ、いくの?」

と、僕の後を追いかけながら、叫んでいました。

 僕が女の人の方へ駆け出すと、女の人は横道の方へ歩き出しました。

「母ちゃん、待って。」

僕が言っても、女の人は止まってくれませんでした。時々僕の方を振り返っては、

「健ちゃん、こっちにおいで。」

と、手招きをして、どんどん歩いていってしまいました。

「母ちゃん、待ってよ。そっちは僕の家とは違うよ。まってよ。母ちゃん。」

と、僕が言っても、女の人は聞き止めてもくれませんでした。

 僕は、はっとしました。

「もしかしたら、おばけ・・・?だけど足もあるし、お墓の方向とも違うし・・・。どうして待ってくれないんだろう。」

僕は訝しく思いながらも、お母さんに会いたい一心に、女の人の後を追いかけていきました。

 その女の人は僕を手招きしながら、山の方へ入っていきました。そして、突然藪の中に入っていくと、見えなくなってしまいました。「母ちゃん、母ちゃん」

と、僕は呼びながら、その辺りを探してみました。しかしその女の人は二度と現れませんでした。それでも僕は小半時、その女の人を捜し続けました。

 翌日、学校に行って、僕は友君に昨日の女の人のことを話しました。すると友君は笑って

「健ちゃんは昨日、イヌみたいな物を一生懸命見ていたんだよ。その後、そのイヌみたいな物がどこかへ行ってしまったら、健ちゃんもその後を追いかけていったんだよ。あの時の健ちゃんはどうかしたんだよ。あのイヌみたいな物を人間に見るなんて。」

「だって、僕の名前だって知ってたし、手招きもしたよ。」

「多分、あれは狐だよ。狐が健ちゃんを騙したんだよ。」

「本当にそうかなあ。狐だったのかなあ。もしそうだとしたって、僕、母ちゃんに会えたんだから、それでいいや。」

 健ちゃんはそれ以後、母さんに会ったことを誰にも話しませんでした。

 

 

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