| 子ども心理分析師(心療内科医)による子どもの心研究所 (登校拒否研究室) |
- MENU - 【表紙・登校拒否・いじめ・引きこもり・青少年問題・心の傷・鬱病パニック障害・童話・絵本】 <説明付きメニュー>2008年7月4日更新
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ここでは登校拒否、不登校の問題を手始めに、子供の心の問題を脳科学の立場から研究しています。
心には意識の心、習慣の心、潜在意識にあり命に直結する情動の心とが有ります。この三つの心を見据えて心を分析しています。
| 掲示板 週刊文春7月3日号記事について(1) <掲示板アーカイブ> 2008/7/4 通学習慣 「新一年生では通学習慣を身につけさせることに尽力する」という考え方です。これは子どもが未だ集団生活に加わるしつけ習慣が付いていないから、小学校に入った時点でつけなければならないと言う意味です。その言葉の裏には親が教育して、しつけをして子どもを集団生活に加わられるようにしておくべきだという意味を指しています。しかし新一年生の殆ど全ては幼稚園に通っていました。つまり小学校が幼稚園の延長上にある限り、幼稚園に通えていた子どもは小学校に通えるはずです。それはしつけや習慣の問題ではない物がある事に気づく必要があります。 子どもの心や体の成熟度は幼ければ幼いほど子どもによって差があります。その成熟度の差、つまり子どもの集団に入っていくだけの心や体の成熟が不十分な子どもがいても良いはずです。小学校によっても異なりますが、目新しい小学校から子どもが受ける辛さが子どもの心の成熟度では解決できない場合、子どもは入学当初から学校に通うことを嫌がっても良いはずです。そのような子どもは幼稚園にも行きづらくて、無理をして通園をしていた場合が多いですから、わかりやすいと思います。時には一見幼稚園には元気で通園していても、小学校という新しい子どもの集団には行きづらくなると言う場合もあります。 入学当初から学校に行き渋る子どもの中には、幼稚園で既に心に傷を受けていて(幼稚園でのしつけや管理が厳しくなっている)、既に幼稚園でも通園ができないか難しくなっていた子どもがいます。幼稚園に通園していても、無理をして通園していたのです。そこで新しい小学校に通うようになると、小学校には新奇刺激という新しい辛さの刺激を受けることになります。それは辛さとして子どもに表現されますから、幼稚園、その延長での学校で疼く心の傷の辛さに、この新奇刺激の辛さが加重されて、子どもは学校に行こうとしなくなります。この場合新奇刺激は時間とともに消失します。また、幼稚園やその延長上の小学校で疼く心の傷は一般的に浅い(傷つけた力が弱いし、傷が疼いていた時間が短い)ですから、ちょっとした喜びで癒され、治癒してしまいます。 この二つの場合とも、子どもの学校に行きづらいという問題は時間が解決してくれます。それも一般的に長い時間を要しません。またちょっとした喜び刺激を学校で感じたなら、その喜び刺激の方が学校から受ける辛さよりも大きくなりますから、子どもは問題なく小学校に通えるようになります。その喜び刺激として、子どもは本能として同年代の子どもの集団が好きですし、新しいことを知る喜びも持っています。これらの喜びが学校から受ける辛さよりすぐに大きくなって、子どもを無理に学校に連れて行かなくても、子どもは自然と自分から学校に行くようになります。親や教師を含めて周りの人が尽力しなければならないことは、子どもを学校に行かそうとするのではなくて、学校の中でその子どもなりに子どもの集団に加われるとか、新しい知識を得られると言うような、楽しい思いを与えてあげることです。 休み癖 子どもは子どもの本能として、学校が楽しければ通学習慣をつけなくても自分から学校に行き続けます。親や大人から見て楽しく幼稚園で過ごしていた子どもの中にも、幼稚園をやっとの思いで卒業して(よい子を演じ続けていた)次に小学校に行ってみたところ、学校が楽しくないばかりか学校が辛くて耐えられないから、子どもは入学当初から学校に行こうとしなくなる子どもがいます。 教師は自分たちの職場である学校に問題があるとは考えません。教師は一生懸命子ども達の成長を願って学校を、授業を維持していますから。そのような教師の思いが好ましい子どもは多いですが、そのような教師の思いが子どもを苦しめるようになっている子どももいることに教師は気づいていません。 そこで記事の中の校長の言葉「早い時期に「学校へ行かなくて良い」意識が根付くと、親子共々それが日常になってしまう」です。学校が辛くて子どもの限界を超えたので、学校に行けなくなった子どもを、殆ど全ての教師はこの言葉のようにまたは休み癖がつくというように理解しています。 この言葉自体は「早い時期に」という部分を除いて、辛い子どもの心を癒すという意味で間違ってはいません。教師が意味している休み癖がつくという意味では間違っています。ここで早い時期と限定しているのは入学当初を含めて低学年という意味です。小学校低学年でなくてもこの言葉は正しいです。 学校が辛くて学校に行きにくい子どもにとって「学校に行かなくて良い」と親が思ってくれたらとてもありがたいことです。安心して、学校を利用しないで、その子どもなりに成長して社会に出て行けるからです。また実際にできています。 今から40〜50年以上前と違って、現在は学校に行かなくても学校に行ったと同じ程度の、又それ以上の必要な知識を身につけられるからです。辛すぎて行けない学校に行こうとし続けて一生を無駄にしてしまうよりは、辛い学校と関わらないで成長した方が得な子どもがいるのです。 親が子どもに学校へ行かなくて良いと思わない限り、子どもは学校へ行かなくて良いと思うことはできません。例え親が言葉だけで子どもに学校へ行かなくて良いと言ったとしても、子どもは親の言葉の端や表情、行動から、親が心底子どもに学校へ行かなくて良いと思っていないことに気づきます。子どもは行くと辛い学校へ行こうとし続け苦しみます。 親が心底子どもに学校へ行かなくて良いと思えたら、子どもは辛い学校と縁を切って、その子どもなりの成長を、それも学校に行っている子ども以上に元気に成長をすることができるようになります。 しかし教師はそれを認めることができないです。教師が一生懸命子どものために働いている学校に子どもが辛さを感じている事実を教師はを認められません。子どもが学校に登校しないのは子どもに問題があると考えています。子どもが学校に登校しない理由の一つとして、大人にはあるが子どもにはない”休み癖”という概念を持ち出してきています。 大人である教師には休み癖があるから子どもにもあると考えて、入学当初の小学生について「早い時期に「学校へ行かなくて良い」意識が根付くと、親子共々それが日常になってしまう」と言うようになっています。教師は学校に行きづらい子どもに「学校へ行かなくて良い」という思いをつけさせたくないからです。それは結果的に教師は教師の都合で子どもの教育を行っている状態です。教師は子どもの心理を知らないのです。 母子分離 子どもは胎児期から乳児期にかけて全てを母親に依存して成長していきます。乳児期から少しずつ母親から離れてその子どもなりの生活が始まります。子どもに自我が形成されてきて自己主張を感じるようになる頃には、かなりの時間を母親から離れてその子どもなりに過ごして、だんだん家の外の社会と、特に子ども社会と関わるようになってきます。それを母子分離と言います。この子どもの成長過程は人間ばかりでなく多くの動物にも見られています。 母子分離不全と言う言葉はいろいろな意味で使われています。子どもの年代によっても異なった意味で使われます。ここでは幼い子どもの登校拒否、不登校について言われている母子分離不全について述べてみます。保育園や幼稚園、小学校に母親が子どもを連れて行っても、子どもが泣き叫んで母親に抱きついて離れようとはしない場合です。または子どもが保育園や幼稚園、小学校にいても近くに母親の存在を感じない限り、子供が泣き叫びだして保育士や先生方が困るという場合です。 子どもの置かれている条件で異なりますが、小さな子どもの集団、保育園や幼稚園、小学校などと子どもは関わっていくとき、子どもが母親と離れられなくてこれらの集団の中に入っていけない場合を幼い子どもの母子分離不全と言います。子どもの自立性が育っていないという意味です。ほぼ同じ意味で子どもが母親から離れて生活する訓練ができていないという意味です。母親と子どもとの結びつきが強すぎて、子どもが母親から離れて生活できないという意味です。その原因として母親が子供に対して甘い態度をして子どもを母親から離そうとしないという意味での使い方があります。いずれにしても子供に問題がある、母親に問題があるという意味です。 母子分離不全を指摘された子ども達を観察してみますと、子ども達は全て母親から遊ぶことが可能ですし、面識のない他の子供達の中にもその子どもなりに入っていけます。最終的には一緒に遊ぶこともできます。それでいて子どもが行かなくてはならない保育園や幼稚園、小学校だと入っていけない事実があります。母子分離不全と指摘されている子どもは、その子どもが行かなくてはならない保育園や幼稚園、小学校に問題があるという反応の仕方をします。 また母子分離不全と判断された子どもは、保育園や幼稚園、小学校に一緒に行く大人が父親でも、祖父母でも、同じように反応して泣き叫び父親や祖父母に抱きついてきます。それは父親や祖父母が子どもに甘すぎるのではないです。子どもは保育園や幼稚園、小学校が辛いから、そこから逃げ出したいから、同伴した父親や祖父母に抱きついて離れようとしません。子どもと母親との結びつきが強すぎ離れられなくて、保育園や幼稚園、小学校に入っていけないのではないことが分かります。 なぜ子どもが保育園や幼稚園、小学校に辛さを感じるかを知る必要があります。辛さとは感情(情動)ですから、その子どもなりの特有な反応です。保育園や幼稚園に入園するときに感じる辛さとは新奇刺激でしょう。今まで経験したことのない場所で子どもの集団に加わる経験をしていなかったという意味です。この場合は子どもが納得した状態で経験を繰り返すことで解決できます。子どもを強引に母親から引き離すことで解決しようとすると、子どもの心は傷ついてしまう(恐怖の条件刺激を学習してしまう)でしょう。母親と保育園や幼稚園で一緒に楽しく過ごすようにすれば解決します。 保育園や幼稚園を終えて小学校に入学する場合には、子どもにとって小学校は新奇刺激だけではないです。入学時に小学校に入ることを渋る子どもは新奇刺激の他に、程度の差は合っても既に子どもの集団で疼く心の傷を持っています。無理矢理に子どもを母親から引き離すことで子どもの心は疼き心の傷を広げ深めていってしまいます。母親から無理矢理に離された学校の中に、子どもがどれだけ楽しみを見つけ出せるかと言う要素も、その後子どもが自分から学校に通えるかどうかを決定します。 保育士や教師の立場から言うなら、自分立場子ども達のために働いている保育園や幼稚園、小学校の中に、子どもが母親に抱きついて入ってこないのは子どもに問題があると考えています。子どもと母親との間の結びつきが強すぎて、その結びつきを断ち切って子どもが保育園や幼稚園、小学校に入っていけないと考えています。そのように子どもを育てた母親に問題があると言う意味で、子どもが未だ社会性が育っていないから保育園や幼稚園、小学校に入っていけないという意味で母子分離不全という言葉を使っています。 子どもの立場から言うなら、自分が加わらなくてはならない保育園や幼稚園、小学校に問題があるから、保育園や幼稚園、小学校に子どが入っていきたくないと表現しています。それを無理矢理に入って行かそうとするから、母親に抱きついて行きたくないと表現しています。母子分離不全ではなくて、辛さから回避しようとする単なる回避行動で母親に抱きついています。 |
| 登校拒否不登校で学校へ行こうとしない行かない子供達は、決して学校をずるして休もうとしているわけではない。学校に恐怖を感じて、学校にいると不安や苦しさを感じて、それに耐えきれないから、学校を回避するのである。 |
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| 主催者 赤沼侃史(心療内科医師) 登校拒否、不登校、引きこもりで悩んでいる人、その親からの相談を受け付けています。費用は無料です。秘密は守られます。 |
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| 登校拒否研究室では、子供の立場から、登校拒否を中心にして、いろいろな子供の問題を考えようとしています。判断の基準は、思い付きや経験に頼らないで、脳科学を大胆に当てはめています。多くの方の御意見をお待ちしています。 | ||
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